秀吉の
北野大茶会
北野大茶会(きたのおおちゃかい)とは、豊臣秀吉が北野天満宮の境内で催した大規模なお茶会のことです。現在、梅花祭で野点の会が行われるのも、この故事にちなんでいます。
どれほど大規模なものであったかというと、天正15年の10月1日から10日間もの間行われ、その間、茶の湯に関心のあるものは、武家の人だけでなく、町人、農民まですべて参加してよいというお触書が回ったほどだそうです。北野天満宮の本殿は三つに仕切られ、その中央には例の黄金の茶室が持ち込まれ、そこに秀吉自慢の茶道具も展示されました。お触書の効果は絶大で、その日は、京都だけでなく、大阪、堺、奈良などからも1,000人以上の人々が集まったそうです。
秀吉は、そのころ九州を平定し、聚楽第も造営。ここはひとつ、都の人々に自らの権威を示そうということで、このように大規模なイベントを行ったのです。このころの武家の人々にとって、茶の湯はたしなみとしてだけでなく、政治の道具としても大切な要素だったのです。武力や財力だけでなく、文化的にもリーダーでなくてはいけない。このあたりは、現代の政治家や財界の方々にも見習っていただきたいものですね。
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| 梅園は梅の季節のみ公開。この奥に、秀吉ゆかりの御土居がある |
御土居って何だろう
御土居とは、長い戦乱で荒れ果てた京都の街を整備するために秀吉が建てた土塁のことです。目的は、外敵の来襲を阻止するため、そして、鴨川の氾濫から市街を守るため、といわれます。京都をぐるりと囲む形になっており、これより内側を洛中、外側を洛外と呼びました。
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| 御土居は、京都の市街地を取り囲む形になっていた |
そのほとんどは江戸時代に取り壊され、現在残っているのは、そのごく一部です。北野天満宮の梅園の奥にもありますので、この機会にぜひごらんください。
●次は、北野天満宮の隠れ名所、お金に困らない大黒天の燈篭にご案内します。