「今」取り組み始めたい『住育』
さて
「過渡期」は『住』のワンターム前のブーム『食』の方向性にも響いているようで、今年6月
『食育基本法』なるものがさりげなく制定されました。
http://www8.cao.go.jp/syokuiku/index.html『食』に関して当サイトは管轄外なので詳説は避けますが、私個人としては
『食育』があるなら『住育』があってもいいし、「衣食は住に包含される」のですからむしろ
『住育』のほうが先なのではないかと考えていたりします。
冒頭の言葉に戻りますが、「住まいは地球の雛型だと思う。」
つまり
「片付かない、モノにあふれた、小汚い住まいは、そのまま地球の姿」。言い換えればひとつひとつ、一戸一戸の住まいが居心地のよい、清潔に整えられた住まいになるならば、
「その住まいの数だけ、街はきれいになる。」つまり……公共の駅、道路などへの吐しゃ物も減り、塵芥処理場をパンクさせるほどのゴミも出されず、建てちゃ壊し建てちゃ壊しの安普請な家も減り、学校でのイジメも減り、中高年の自殺も減り、育児ノイローゼも減り、高齢者の事故も減る。皆幸せになるに連れ、世界平和にもつながる……。
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| ワールドワイドな見方で… |
……飛躍しすぎでしょうか。
でもいずれの
根幹も、個々人の暮らし(その拠点である『住まい』そのもの)にあり、世のすべては
そこから発現した事象である、と言えるのではないか? と、(飛躍しすぎではあるかもしれませんが)これが私からのひとつの問題提起であります。
住まいが変われば世界が変わる、のではないか?!
実際のところ、
『住育』という言葉自体、まだ一般的なものではありません。インターネットの世界でも検索した限りでは、一部の企業や建築家、教育関係者の間で使用されているにとどまる
「新語の類」のようです。
この国の私たちの暮らしは戦後、爆発的に「豊か」になりましたが、その歴史はせいぜい、まだ50年にも満たない時間に過ぎません。
その間に
劇的に「変化」した『衣食住』のスタイルに対して、全然確固とした対応というか、
向かい合い方のノウハウができていないのがいまだ、現状なのです。
だいたい、一部の上流階級以外の一般人(?)が
『竪穴式住居』レベルの住まいから脱出(?)して、まだ300年程度なのです!
「ただ眠り身に何かまとい腹を満たす」ことが生きる全てだった時代はたかだか50年前ですし、私たちは
大地震などの天災でいつ何時、
そういう時代に逆戻りしてしまうか知れない日常を生きています。
「食とは? 住まいとは?」なんて考えていられる、ということ自体、酷く
恵まれていることだと、そういう
認識に立ち返らせるのも、『食育』
『住育』の担う大きな役割なのではないでしょうか。
『住育』は決して子ども向けの「家庭科」勉強の一部ではあり得ません。住まいに対して無自覚なまま大人になった人、自覚的でありたいと学びの場を求める大人などにも敢えて開かれる、
生涯にわたる学びの機会であるべきだと思います。
「毎日忙しくて、『住育』なんてそんなお題目、唱えているヒマないよ」という方も大勢でしょうが、フト
汚れ切ったこの部屋を眺めてしまう「一瞬」に思いを凝らしてみて欲しい。エアポケットのようなその隙に、こんなセリフが頭を過ぎったらそれが合図です。
「これで、いいんだろうか?」
(※1)持ち家比率「総務省『住宅・土地統計調査』」より。
(※2)居住水準「総務省『住宅・土地統計調査』」より。最低居住水準以上の世帯数は増加傾向にあり、2003年時点で比率は90%を越えている。
(※3)住宅の平均耐用年数の国際比較「(社)不動産協会HP http://www.fdk.or.jp/index.htm」より。
【参考文献】「子どもが育つ夢の家—健やかな感性を育むための住育論」栗田 正光 著/新風舎(2004年10月)