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今後のインターネットビジネスの注目ポイント! ネットエイジ西川潔社長に聞く1(2ページ目)

ビットバレーの提唱者、ネットエイジ西川潔社長に聞く、今回はネットビジネスの黎明期からビットバレー前後までの中で西川氏が何を考え、どう行動してきたかに迫ります。

水上 浩一

執筆者:水上 浩一

インターネットサービスガイド

ビットバレー構想について語る西川氏 ビットバレー構想について語る西川氏

ビットバレー構想の1年間が残したもの

ガイド:
「(当時)インターネット・ビジネスのベンチャー企業が多く集まる渋谷を 日本のシリコンバレーにしよう」というビットバレー構想は、そのころ、つまり1999年に 誕生したのですよね?

西川:
99年3月です。当時は、インターネットビジネスというのは注目度がほとんどなく、 出資をお願いしてもほとんど相手にしてくれませんでした。そこで、インターネットというのはこんなにすごいんだよ、 ということをもっと提唱しようということではじまったのが、「ビットバレー構想」だったのです。

99年の3月に当社のメールマガジン「週間ネットエイジ」でビットバレー構想を発表、 3000人ぐらいに配信しました。そして同時に賛同者専用のML(メーリングリスト) を立ち上げるということを知らせたのですが、すぐに400人ぐらいが集まりスタートしました。 2000年の3月で終了したのですが、その1年でMLの登録者数は6000人にまで成長しました。

ガイド:
その時期って、もしかして伝説の六本木ベルファーレのイベントですか?

西川:
ええ。毎月100人ぐらいが集まるオフ会を開催していたのですが、 どんどん広がっていって、その中には、2200人を集客し、マスコミでも取り上げられて 有名になったベルファーレのオフ会、というのがありました。 そのため、「ビットバレー構想」というのはパーティーのイメージが強くあるのですが、 実際にはMLが本質で、1日に150通ぐらいの意見交換があったとても活気のある メーリングリストでした。

メンバーがML上で株式会社の経営とか、上場について勉強していましたね。 相互扶助組織としても機能していて、たとえば出資してくれ、という呼びかけ等も行われていて 実際に資金を得たケースもありました。東証マザーズの担当者もMLの中に参加していたんですよ。

日銀総裁の速見さんとか、石原都知事とかも視察に来たりと、当時、経済が暗いニュースばかりだったところに、 この盛り上がりがあったので、注目を集めたのです。

ガイド:
その辺メディア等に受けるようにと、あえて仕掛けた、ということはありますか?

西川:
もちろん、そういうこともありました。ただ段々マスコミからの取材が殺到して、 注目を集めるということではよかったのですが、そのうち「ビットバレー構想」がネット バブルの代名詞のようになってしまったのです。お金儲けが悪い、ということでは無いのですが、 金の亡者みたいな、なんかギラギラした人間ばかりが集まっている、そういうイメージが つきまとうようになってしまいました。そこでこれはちょっと違うな、ということになり、 幕を引くことにしました。

ガイド:
それほど活発な情報交換がなされていたのに惜しいですね。そのビットバレーのメンバーには、 現在有名になっている経営者もいらっしゃいましたよね?

西川:
藤田さんや、堀江さん、三木谷さんなどがいらっしゃいました。月に一度のオフ会 ではそのときそのときで注目を集めていた人にしゃべっていただいたのですが、みんなしゃべって いただきましたよ。(DeNAの)南場さんとか にもしゃべっていただきました。

ガイド:
すごいメンバーですね。西川社長をはじめ、皆さん、インターネットに ビジネスの可能性を見いだしていたのですね。

<まだまだ続きます!西川社長のインターネットへの熱い想い!>
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