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町田、自然、歴史と今が交わる交通の要衝

東京都南端に位置する町田市は多摩丘陵の自然に恵まれ、縄文時代から人が暮らしてきたエリア。中心となる町田駅周辺には商業施設が集積、一方で駅から離れると緑の中に団地や一戸建てが。様々な表情のある街なのです。

中川 寛子

執筆者:中川 寛子

住みやすい街選び(首都圏)ガイド

縄文時代から人が暮らした場所、
明治に入って「絹の道」として繁栄

町田駅

東神奈川駅から八王子駅を走るJR横浜線。町田で小田急線と接続、その他東急田園都市線、新幹線、京王線、横浜市営地下鉄などと乗り換えが可能(クリックで拡大)

町田の由来には3つの説があります。「町」は田の区画を意味し、「町田」は区画された田であるとするもの、町が市と同じ意味で使われていたことから、町田は古くから人が集まって市が開かれていた場所をさすというもの、もうひとつは祭りに使う田、祭り田がなまって町田になったというもの、いずれの説が本当かは分かりませんが、共通していることは古くから人が集まる場所であったということです。

 
神輿

取材に訪れた日はちょうど祭りが行われており、商店街の中なども含め、あちこちで神輿が練り歩いていた(クリックで拡大)

実際、町田市内には縄文時代からの遺跡が発見されており、その頃から人が住んでいたことが分かっています。さらに中世には市北部の小野路町に鎌倉街道、大山街道などの宿場があり、古くから交通の要衝であったことも分かります。とはいえ、江戸時代までの町田はごく一般的な農村。変化が起きたのは江戸時代末期に横浜港が開港して以降です。

 
町田街道

町田市を北西から南にほぼ縦断する町田街道。往時の絹の道の一部。幅員が狭く、渋滞が起こすこともしばしば(クリックで拡大)

当時の主な輸出品だった絹の一大集積地が八王子で、そこから横浜に絹を運ぶルート上に町田があったため、この時代に商業地としての繁栄の基礎が築かれたのです。一方で大正時代には養蚕農家が多かったそうでもあり、賑わっていたのはごく一部のエリアだったと推察されます。この、後に「絹の道」と名付けられた陸路運送の繁栄は明治41年の横浜線開通であっという間に終焉を迎えますが、町田はその後も農産物、生糸などを扱う流通の中心となります。さらに昭和2年の小田急線開通で都心への利便性が向上、昭和30年代以降には大型団地の建設が相次ぎ、人口が急増。現在の姿となります。

 
町田市役所

駅から徒歩圏には市役所など公共施設も揃っている。庁舎は2012年に建て直されたばかり(クリックで拡大)

ところで町田市はまるで半島のように神奈川県に突き出しており、どうしてここが東京都に入っているのかを不思議に思う人も少なくないようです。平面の地図で見ていると確かに不思議なのですが、神奈川県相模原市の境にはその名も境川が流れており、河川が自治体の境界となることが多いことを考えれば不思議はありません。また川崎市側との境も丁寧に見ていくと川ほど明確ではありませんが、地形的に底に当たる部分などとなっています。また、古来から八王子、多摩などとのつながりがあったことから、今の形となったものと考えられます。東京都が水源を確保するために三多摩からこのエリアまでを都内としたという説もあるようです。

 

大型店と昔ながらの商店街が混在、
新旧が良いバランスで共存

境川周辺

境川を挟んで右手が相模原市、左は町田市。ホテルなどが多く立地している(クリックで拡大)

町田市の中心となっているのは横浜線と小田急線が乗り入れる町田駅。横浜線町田駅南側には境川が流れており、境川を越すと相模原市。こちら側には家電量販店があるものの、北側の繁華さとはいささか違う雰囲気があり、率直なところ、若い女性には好まれにくい場所かもしれません。

 
町田駅前

駅周辺には大型商業施設が集まっており、写真に収めにくいのが難。夜間も人通りが多い(クリックで拡大)

反対、北側は横浜線と小田急線、それぞれの駅周辺に大型商業施設が林立し、昼夜を問わず賑やか。ただ、町田が面白いと思うのは、そうした大型店のみならず、昔ながらの商店街も元気だということ。歩いてみると、大手のチェーン店も増えてはいますが、それでも個人の古くから営業している店が健在。頑張っています。そのためか、物価が安いのも魅力です。

 
冨澤商店

製菓材料と謳っているが、それ以外の食材の品ぞろえも豊富な冨澤商店。現在は全国に46店舗ある(クリックで拡大)

歴史を感じるのは茶道具店が多い点。地元の茶道会が頑張っており、これは歴史のある街ならでは。表面的には今どきの新しい街のように見えますが、そうではないということです。また、最近では首都圏のみならず、全国に支店を広げている食料品店は古くからこだわりの食材を扱うことで知られており、創業90年余の老舗ながら時代の先端を行っているところが、この街らしいところです。

 
仲見世商店街

アーケードの入口に並ぶ2店はいずれも行列店。右は大判焼き、左は焼き小龍包の店(クリックで拡大)

古くからの店が頑張っている一方で新しい店もどんどんできています。古くからある闇市の面影を残す町田仲見世商店街などでは店舗は時代に応じて変化してきており、最近はいかにも今風のバルやエスニックレストランが目立つように。焼き小龍包など、この地発の流行も生みだしており、古くて新しいと呼ぶにふさわしい街なのです。

 
焼き豚

店頭においしそうな焼き豚が並び、並んでいる人がいることも(クリックで拡大)

ちなみに町田でおいしいものといえば、ラーメンに醤油、焼き豚など。ラーメン屋さんが多いのは横浜線、小田急線沿線に大学が複数点在していることもあって若い人が多いためでしょう。駅から離れたところにも行列のできるラーメン店があり、知らないで通りかかるとびっくりします。醤油は古い醸造元があり、駅近くにある地元の物産を売る店にも置かれています。年末には予約がないと買えないという焼き豚は大正時代創業の肉屋さんの名物。おいしいものにも歴史あり、です。

 

駅から離れると緑豊かな公園、美術館、
昭和30年代に建てられた団地群も

版画美術館

町田市立国際版画美術館。敷地内にはせせらぎがあり、ゆったり静かな雰囲気(クリックで拡大)

一方、駅から北へ向かい、町田街道を超えると、そうした駅前の賑わいとは異なる緑豊富な自然が残されています。恩田川に向かう斜面には芹が谷公園、市立国際版画美術館などがあり、人の少ない平日などに訪れると深山幽谷にいるかのような錯覚に陥るほどです。

 
恩田川との高低差

版画美術館近くの坂の上から恩田川方面を見たところ。大きな高低差があることが分かる(クリックで拡大)

地形的にみると町田市は境川を挟んで南側の大半と、境川と恩田川の間が相模原台地、それ以外が多摩丘陵となっており、町田から橋本までの横浜線沿線は相模原台地上にあります。そのため、同じ町田市でも多摩丘陵上にある玉川学園駅周辺よりも平坦ですが、境川、恩田川沿いには傾斜地があり、場所によってはかなりの急傾斜。市立国際版画美術館辺りにも見上げるばかりの坂がありますが、こうした場所で宅地を探す場合には造成方法に注意が必要です。

 
一戸建て中心の住宅街

大きな区画の住宅も点在、昔から居住されているお宅のようだった(クリックで拡大)

続いて住宅地の様子を見ていきましょう。駅周辺は通り沿いにマンション、それ以外は一戸建てが中心で、中には広壮なお屋敷なども。以前は農業をしていただろう、古くからの地主さんだろうと思われるような作りの住宅もあります。

 
バス走行中

町田ではバスを利用する人が多く、駅の周辺には3カ所のバスターミナルがある(クリックで拡大)

そこからバス便利用、あるいは最寄駅は横浜線沿線の古淵あたりになると、昭和40年代に建設された団地群が目につくように。境川団地、木曽団地、山崎団地などは2000戸超、4000戸超などという大規模団地で、ひとつの街。築年自体は古くはあるものの、リニューアルされた物件や子育て世帯向けには家賃の割引がある団地もあるので、利用の仕方によってはお得に住める可能性があります。

 
バス案内板

町田駅周辺のバス乗降客数は多摩エリアではトップ、都内で見ても渋谷駅に次ぎ、2位(クリックで拡大)

また、バス便利用ではありますが、通勤時間帯には1時間に10数本の便があるような団地もあり、それほど不便というわけではありません。

 

最後にもっと具体的に横浜線、小田急線町田駅周辺の住宅事情を見ていきましょう。
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