東京・神奈川・千葉・埼玉に住む/23区北[豊島・板橋・北]

王子、江戸の行楽地転じて北区の中心地

八代将軍徳川吉宗が桜を植えさせたことから花見の名所として賑わい、同時に稲荷信仰の聖地としても栄えた王子(北区)。その後、日本の製紙業がこの地から始まったという歴史ある街の現在をご紹介しましょう。

中川 寛子

執筆者:中川 寛子

住みやすい街選び(首都圏)ガイド

江戸から明治にかけては
庶民が集う行楽の地

飛鳥山公園

江戸時代からの桜の名所飛鳥山公園。こんもりと高台になっており、今も桜の名所(クリックで拡大)

京浜東北線、東京メトロ南北線、都電荒川線(駅名は王子駅前停留所)の3線が交わる地、王子(北区)。ここは駅の南西に江戸時代、八代将軍徳川吉宗が庶民が安心して花見を楽しめる場所を作ろうと桜を植えた飛鳥山があることで知られています。

山といっても地形図に掲載されるほどの高さはないようですが、明治6年には上野公園などと共に日本最初の公園となっており、現在も花見の時期はもちろん、それ以外の時期も園内にある3つの博物館を訪れる人や各種イベントなどで賑わっています。明治時代には日本財界の大立者だった渋沢栄一が別荘を構えており、江戸、明治の王子は行楽の地であってことが分かります。

 

王子稲荷神社

急な階段を上ったところにある王子稲荷神社。濃い緑が印象的

江戸時代の王子には飛鳥山以外にも名所がありました。そのひとつが王子稲荷神社。ここは関東稲荷総社という格式の高い神社で、もともとは荒川の岸にあったことから岸稲荷と称していました。その後、徳川家康が駅近くにある王子神社、王子稲荷神社、両社の権現であった金輪寺に特別の保護を与えたため、江戸の北エリアにあっては広く知られることとなり、稲荷信仰もあって参拝客が絶えなかったとか。訪れる人たちを目当てに飛鳥山から王子にかけては料亭、茶店が軒を連ねており、そのうちでも有名だったのが扇屋です。

 

狐の夕涼み

9月、音無川親水公園で行われていた狐の夕涼みなるイベント。狐の面を被った人があちこちに。大晦日にも狐の行列を模したイベントが(クリックで拡大)

落語好きの方なら「王子の狐」という噺をご存知かもしれません。王子の原で狐が若い娘に化けるのを見た男が化かされるくらいなら化かしてやろうと、娘と扇屋に入り、さんざん飲んだり、食べたりした挙句に娘を置いてお土産の卵焼きをもらって帰ってしまい……。

この話は扇屋のPRのために作られたもので、その扇屋の名物が大きくて甘い卵焼き。現在、料亭は建て直されてビルとなっていますが、1階では今でも卵焼きが売られています。元々この地には大晦日に全国の狐が集まり、装束を改めて王子稲荷に向かうという言い伝えがあったため、それと扇屋の卵焼きを織り交ぜ、噺が作られたのでしょう。今もビルの目の前の音無川親水公園では王子の狐を模したイベントなどが開かれています。

 

名主の滝

名主の滝公園内には池があり、滝があり、深山幽谷の趣。台地と低地の間の立地を利用して作られている(クリックで拡大)

王子稲荷の少し先にある名主の滝公園も江戸時代以来の名所。ここは地元の名主が台地の端にあった敷地内に滝を開き、茶を栽培して人を集めるようになった場所で、現在は区の公園。滝は現存していますが、残念ながら流れる水は水道利用。それでも人口密度が高く、自然の少なかった江戸の人たちが憩いを求めて集まった、緑にあふれた雰囲気は十分感じることができます。

 

松橋弁財天洞窟跡

親水公園から少し上流にある松橋弁財天洞窟跡。石神井川が蛇行、岩陰に弁財天が祭られていたそうで、源頼朝が立ち寄ったという言い伝えも(クリックで拡大)

前述の音無川親水公園沿いにも名所がありました。音無川は上流は滝野川、そのまた上流は石神井川で、奥多摩から発し、途中で名を変えながら隅田川にそそぐ川。現在川となっている部分は実際には昭和30年代以降に改修された旧流路部分で、穏やかに見えますが、かつてはいくつもの滝があった観光地。投網や釣りもでき、季節によっては泳げもしたのだとか。

コンクリートの護岸に囲まれた現在では想像もできないほど、水と緑の地だったわけです。ちなみにこの時期には農業の地でもあり、当時から宅地化で農地が失われるまでは滝野川ごぼう、滝野川にんじんなどが名産として知られていたそうです。

 

お札と切手の博物館

右側にあるのがお札と切手に博物館。製紙の街の記念碑も駅前にあり、歴史をしのばせる(クリックで拡大)

その後、王子が変わり始めたのは明治以降。一番大きな変化は日本の製紙業の発祥となった王子製紙が明治6年にこの地で創業したことでしょう。設立したのは前述の渋沢栄一。王子には現在も国立印刷局がありますが、実業家に転ずる前の彼が官僚として現在の印刷局の組織の長であったことを考えると、今の王子の姿を作ったのは渋沢栄一だったとも言えます。

この地が選ばれたのは製紙には欠かせない水が豊富で、かつ交通の便が良かったため。その後、王子周辺には大小の工場が並び、製紙を中心に発展をします。同時に同じ北区内赤羽などと同様に陸軍の工場や倉庫なども建てられています。

 


そのためもあり、戦争では空襲でかなりの被害を受けており、王子製紙や軍の工場、区役所なども爆撃で焼失。人口も大きく減少しましたが、昭和25年以降は順調に増加するものの、昭和45年から平成12年までは減少、現在は多少ながらも増加傾向にあります。

京浜東北線を挟んで台地と低地、
商業エリアと緑が接する

王子駅前

駅の東側。ロータリーを囲んで店舗、商業施設その他が並ぶ(クリックで拡大)

まずは駅の東側。こちらは駅前に広々としたロータリーがあり、商店街、大型店などが並び、繁華な雰囲気。小さいながらも飲食店街もあります。京浜東北線は王子に限らず、台地と低地の間を走っているのですが、ここでは東側が平坦な低地側。駅の前の通りをまっすぐ行くと石神井川、隅田川、そして荒川です。

 

北とぴあからの眺め

線路を挟んで写真左側が台地、右側が低地となっており、高低差があること、緑の量がまったく異なることが分かる(クリックで拡大)

この高低差を実感したいのであればお勧めは北とぴあの展望台。高低差がばっちり分かるだけでなく、鉄道好きの人なら各地へ向かう新幹線を上空から眺められるスポットでもあり、特に朝は頻繁に電車が通って楽しいそうです。

 

古いマンションが目立つ駅前

駅前から荒川方面に伸びる道。早い時期に建てられた古いマンションなどが目につく(クリックで拡大)

こちら側の通り沿いにはマンション、ビルなどが並び、明治通りを超えるとだんだん高さが無くなり、一戸建てなど低層のエリアに。もっとも隅田川沿いには昭和40年代後半に建てられたURの豊島五丁目団地があります。さらに隅田川を渡った先にはやはりURが工場跡地の広大な敷地を開発したハートアイランド新田と呼ばれるエリアも。多少遠くても手頃に、あるいは環境の良い場所に住みたい人なら訪ねてみても良いかもしれません。

 

音無川親水公園

音無川親水公園。一部は水辺に降りられるようになっている。周囲の遊歩道には桜(クリックで拡大)

西側はこれに対して駅のすぐ前に音無川親水公園があり、北側に向かって多少の店はあるものの、飲食店などが大半。さほどに繁華な場所ではありません。前述の江戸時代の名所、王子神社、王子稲荷神社、名主の滝公園、飛鳥山公園などがあるのはすべてこちら側。台地と低地の間、台地上などに名所があったことが分かります。実際、西側には坂、高低差のある土地が多く、しかも急です。

 

緑の分布

写真奥が飛鳥山、手前が王子稲荷の緑。線路を挟んで西側に集中していることが分かる(クリックで拡大)

そのためか、あまり高さのある建物は少なく、一戸建て、小規模なアパート、マンションなどが中心。緑が鬱蒼としている場所が多い印象があります。

 

北とぴあ

駅のすぐ脇にある北とぴあ。各種イベントなども頻繁に行われている(クリックで拡大)

さて、東西関係なく、目に付くのは学校。専門学校、私立の中学、高校などが多く、若い人も多い街なのです。もうひとつ、多いのは公共施設。北区役所を始め、北とぴあと呼ばれる文化センター、税務署、警察署、保健福祉センター、男女共同参画センターなどが集まっており、区政の中心なのです。

 

さて、続いてそんな王子の住宅事情を見ていきましょう。

  • 1
  • 2
  • 次のページへ

あわせて読みたい

あなたにオススメ

    表示について

    カテゴリー一覧

    All Aboutサービス・メディア

    All About公式SNS
    日々の生活や仕事を楽しむための情報を毎日お届けします。
    公式SNS一覧
    © All About, Inc. All rights reserved. 掲載の記事・写真・イラストなど、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます