テクノポップ/アーティストインタヴュー

『ソリッドレコード夢のアルバム』復刻

ソリッドレコードからの復刻、最後の一枚となる『夢のアルバム』は、歌謡曲スターとニューウェイヴ系アーティストの共演。単なる企画ものではない、和製レアグルーヴの先駆けとも言えるこの試みについて、再びサエキけんぞうさんに登場いただき、このアルバムが出来上がった背景を語っていただきました。

四方 宏明

執筆者:四方 宏明

テクノポップガイド

プロデューサー高護さんとのつながり

ガイド:
dreamyalbum

ソリッドレコード夢のアルバム(オリジナル)

サエキけんぞうさん、再びご登場頂きありがとうございます。『ハレはれナイト』に続いて、『夢のアルバム』についてお話を伺います。このアルバムは、ソリッドレコードのレーベルオーナーでもある高護(こうまもる)さんの思いが詰まったアルバムと感じます。レーベルオーナー、そしてこのアルバムのプロデューサーでもある高さんとはどのように出会ったのでしょう?

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サエキ:
1983年頃、高さんのやっていた『REMEMBER』という歌謡曲専門雑誌(「よい子の歌謡曲」と同サイズのミニコミ誌。部数はそこそこ刷っていたはず)を手に入れ、面白いなあ、と思って投稿したのです。「アイドルB面ベスト10」という勝手記事です。真鍋ちえみの細野晴臣曲「蒼い柿」とかを入れていました。多分に僕の作ったベスト10はテクノ歌謡っぽかった。その記事は振れきっていたので、高さんの目に止まったようです。

ガイド:
サエキさんは、ハルメンズを経て、パール兄弟の活動を始めた年ですね。ちなみに高さんのマネジメントオフィスにサエキさんも所属されていたのですよね。

サエキ:
高さんはもともとジャックスとクールスの、コアなファンでした。僕も最初のファンになったザ・フォーク・クルセダーズがジャックスの曲を歌っていて、はっぴいえんどを知るきっかけがジャックスファンクラブのお姉さんだったし…だから、ジャックスにはひとかたならぬ愛着がありました。そこですぐに意気投合したのです。

一方で、僕は自分のデビューバンド、ハルメンズがビクターであったことなどから、ディレクターの田村充義さんと知り合うことになり、作詞家の仕事を開始していました。小泉今日子さんの詞を書かせていただくことにもなりました。田村さんとも親交を結ぶことになる高さんは、業界の関係者の知り合いを増やし、作家を管理する音楽出版社(著作権管理)を立ち上げようとしていた時期でした。そうしたつながりが広まり、僕が作家としても呼び出されることになったわけです。

ガイド:
サエキさんの従兄でもあるまた、はっぴいえんどの専門家としても知られる篠原章さんもこの『REMEMBER』の執筆に加わってますが、これはサエキさん繋がりですか?

サエキ:
以上のような経過からSFC音楽出版(現ウルトラ・ヴァイヴの前身)が立ち上げられました。そこで従兄の篠原章氏もつながっていくし、ピチカート・ファイヴの小西康陽氏、高浪慶太郎氏も係わってくるわけです。最初は、音楽出版社として始めようとしていたので、作家事務所としての立ち上げだったと思います。しかし、一方でネオGSのザ・ファントムギフトのようなライブバンドも登場し、マネージメントオフィスとしても機能することになります。

僕のパール兄弟もSFCとハーフトーンミュージック(武部聡氏の事務所、松永俊弥、初期の窪田晴男などが在籍)を中心とした体制で運営されることになりました(1986年~93年)。またファントムギフトはSFC所属アーティストとなりました。遅れて、近田春夫とビブラストーンも所属になりました(1989年頃~)。お分かりのように、このようなSFC音楽出版の形成が、そのまま『夢のアルバム』の制作メンバーとなっています。いちリスナーから音楽業界に、単身で殴り込みをかけた高護さんの夢と希望とビジョンがここに凝縮されているといって過言ではありません。

和製レアグルーヴの先駆け

ガイド:
まだこの頃、和製レアグルーヴとかカルトGSとかモンド歌謡、そういった呼び方はされていなかったでしょうが、サエキさん自身は和製カヴァーポップスから始まった60年代~70年代の日本の歌謡曲に対してはどのような想いを持たれていたんですか?特に思い入れがあった歌手または作家の方はいたのでしょうか?

サエキ:
高さんは、筒美京平先生のCDボックス(2013年リマスター&増補版発売)を後に編纂することになる、筒美コレクターの最高峰です。『歌謡曲』(岩波新書)という本を書くことにもなります。つまり、近田春夫さんの『気分は歌謡曲』の発刊後、その意志を継いで、ロックをくぐった時代に歌謡曲を把握し直す第一人者となるわけです。

僕はといえば、近田さんにも親近感を持つ一方で、はっぴいえんど~YMOの流れが作りだした新しい歌謡曲(松田聖子からスターボーまで)に可能性を感じていました。小西康陽氏も確か西村知美の曲から編曲の仕事を始めており、我々の世代が歌謡曲に接近することになっていったのです。

60~70年代の歌謡曲については、風俗を通じて血肉となっていた印象です。その中には筒美先生の大量の作品があったし、近田さんの「電撃的東京」により、把握し直されることも楽しんでいました。

サエキの立場は
1. 洋楽ファン→1980年当時はニューウェイヴ
2. 日本のロックファン(はっぴいえんど以来)→1980年当時はやる立場(ハルメンズ)
3.(普通に)歌謡曲は大好き。
というものでしたが、1と2のニューウェイヴ状況下では、自分の好みの「トガった歌謡曲」を作りたいと思っていたわけです。

さて「和製レアグルーヴとかカルトGSとかモンド歌謡」とは、すべて1990年以後のクラブシーン時代での言葉であり、それ以前には、呼び名もなければ音楽性そのものが定まっていません。レアグルーヴ・ブームは多分に1967~8年頃の「ブーガルー・リヴァイヴァル」という音楽性ですが、それさえも、1980年代末の状況では、片鱗さえも見えなかったと思われます。(88~9年頃、アシッドジャズのコンピが英国で発売されているが、まだノリが固かった)

となると、1988年という年にこのアルバムが創られた先見性が分かるでしょう。クレイジー・ケン・バンドが先導する「和物ブーム」の先祖になっているともいえますし、沖山優司さんの曲の「恋のエクリチュール」にはレア・グルーヴの香りも濃厚に漂っています。

 

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