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設立10周年!金森穣が語るNoismの過去と未来<後編>

2004年に日本初の劇場専属舞踊団として新潟に誕生したNoism。3年ごとの契約更新を繰り返し、2014年4月をもって設立10周年を迎えました。ここでは、芸術監督の金森穣にインタビュー! 設立のきっかけから現在までの道程、今後の構想をお聞きしました。

小野寺 悦子

執筆者:小野寺 悦子

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2008年に発表した『Nameless Hands~人形の家』は大きな評判を呼び、栄誉ある賞にも輝きました

金森>『Nameless Hands~人形の家』のあと、『ZONE~陽炎 稲妻 水の月』にかけての辺りが自分にとってひとつの転機でした。そのころ、初期メンバーがごっそり辞めたんです。一方で、朝日舞台芸術賞舞踊賞をもらったり、文化庁の芸術選奨文部科学大臣賞をもらったりと、Noismの活動がある程度評価されはじめた。メンバーの入れ替わりがあり、同時に社会から評価されるようになった。

しかし、日本には相変わらず他の舞踊団は出てこない。そのとき、“これはもうひとりでも進むしかない”って思った。評価してくださるひとたちがいる限り、メンバーが辞めていこうが他に舞踊団ができなかろうが前に進むしかない。取りあえずひとりでも行こうと、それでついて来てくれるひとがいればありがたいし、いなくても自分はひとりでも行くと……。

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見世物小屋シリーズ第1弾『Nameless Hands ~人形の家』(2008年) 撮影:篠山紀信

芸術監督としては、やはりメンバーの脱退が一番辛い点?

金森>辛い。今ではずいぶん慣れはしたけど、それでも辛い。今でも辛い。何が辛いかというと、時間がかかることだから。やっとここから舞踊家として次のステップに行ける、というときに辞めたりする。自分に言わせると、みんな道半ばでNoismを辞めていっちゃう。そこまで向き合ってきたエネルギーが霧散してしまうんです。

 

 

あと、大きなお世話なんだけど、“お前、ホントにそれでいいの?”って心配しますよ。“辞めてどうするんだよ”と。今の日本では、Noism以外で舞踊家として充分に自分の身体に向き合える環境はないから。この環境を捨ててまで辞めようと思わせるほど追い込んでいたのかなとか、あるいはそこまでの覚悟じゃなかったんだなとか、いろいろ考えてしまう。

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『ZONE ~陽炎 稲妻 水の月』(2010年) academic / nomadic / psychic  撮影:鹿間隆司



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