演歌・歌謡曲/歌謡曲 あの人この人

DJジョーがふりかえる歌謡DJシーン 前編

1995年から歌謡DJの草分けとして活躍してきたDJジョー。横山剣、小泉今日子、大西ユカリなどのスターと共演し、テレビでコーナーを持つに至った輝かしい経歴と、歌謡曲DJシーン黄金期、そして落日を語る。前編

中将 タカノリ

執筆者:中将 タカノリ

演歌・歌謡曲ガイド

前回の記事『最古の歌謡DJイベント!オリエンタルソウルパラダイス』でDJジョーさんにインタビューをおこなったところ、話は予想以上の盛り上がり。DJジョーさんの経歴をひもとく中で日本の歌謡DJイベント史について貴重な証言を得ることができた。
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深い歌謡曲を追及するDJジョー


「深い」歌謡DJの草分けとして

ガイド:引き続きよろしくお願いたします。長年のお付き合いですが、ここまでいろいろ聞かせていただくのは初めてですね。さて、ジョーさんがDJを始められたのは1995年ということですが、これはどんなきっかけだったのでしょう?

ジョー:ちょうど自分たちでイベントを主催するスタイルが流行ってきた頃でね。しかも、それまでのディスコみたいないかにもなダンスミュージックじゃなくてもDJで騒いで楽しもう、みたいなノリが生まれてきたんやね。僕は当時アメリカ村で仕事してたんやけど、営業先の一世代くらい若いコたちがちょうどそういう流れに乗ってロックとかメロコアみたいな音楽のDJをし始めててん。そしていろいろ話するうちに「ジョーさん音楽詳しいからDJやったらいいやん。」って言われて、それもそやなと自然な流れで始める事になったんだね。

ガイド:当時のジョーさんはどんなDJスタイルだったんですか?

ジョー:今とあまり変わらない60年代から70年代の和モノがメインやったね。もとからレコードのコレクターではあったし、必要なものはだいたいそろってたから。

ガイド:いきなり和モノから始めてたんですか!年代を考えると、まさに歌謡DJのパイオニアですね。

ジョー:一番はじめってことはないけどね。jin主催の『歌謡曲ナイト』(大阪のなんばロケッツを中心に全国で大量動員を誇った歌謡・J-POP DJイベント)とかもうあったから。でもヒット曲ばかりとかリアルタイムのヒット曲を入れるんじゃなくて、いろいろ掘り返してレアグルーヴみたいなノレる歌謡曲を追及するっていう点では僕は珍しかったと思う。

歌謡曲黄金時代を経験した少年時代 

ガイド:たしかにそこらへんのコアさがジョーさんの魅力の一つですよね。後進に与えた影響も大きいと思いますし。DJ経歴の前にジョーさんの音楽性とかバックグラウンドについて聞かせていただいたほうが読者の方にわかりやすいかもしれませんね。ジョーさんの世代だと70年代歌謡くらいからリアルタイムで聴いていたわけですが。

ジョー:オックスの『スワンの涙』がめちゃくちゃ記憶に残ってるから、ギリギリ60年代からやね。1963年生まれやから小学校あがるかどうかくらいの時期。それから『ベスト30歌謡曲』、『不二家歌謡ベストテン』っていう音楽番組を知りはじめて、南沙織と郷ひろみがお気に入りだった。

音楽に目覚めた『近田春夫のオールナイトニッポン』

ガイド:『不二家歌謡ベストテン』はラジオですね。テレビだけでなくラジオもよく聴かれてたんですね。

ジョー:年代的に今の子供よりラジオというものが身近やったね。特に中学生の頃にやってた『近田春夫のオールナイトニッポン』は深夜3時からやったけど夢中で聴いてた。ひたすら歌謡曲を紹介しまくるスタイルで、近田春夫のMCを聴く中で自分の好きな曲に筒美京平作品が多いことを気付かされたり、音楽を意識して掘り下げていくきっかけになった。

ガイド:近田春夫さんのラジオで音楽に目覚めた、と。

ジョー:うん。彼の音楽自体も『近田春夫&ハルヲフォン』のコピーバンド(※『お子さまパトロール』。後に『MAKE-UP』、『グランドスラム』に参加するドラマー豊川義弘が在籍した)をするくらい好きやったし、音楽の聴き方とか、後年の自分のDJスタイルにも確実に影響してるね。他にも浜村淳、甲斐よしひろのラジオ番組が好きだった。ビートルズ、エアロスミス、クイーンとかその時その時の洋楽も聴きつつ、歌謡曲も掘り下げて中古レコード屋をまわるようになっていった。

1980年代 レコードコレクター、歌謡曲マニアとして

ガイド:CD登場以前なので必然的に古い音源は″中古レコード屋″にしかないわけですね。当時の歌謡曲マニアの周辺環境はどんな感じだったのでしょうか?

ジョー:もちろんネットオークションやSNSは無いので、買うならレコード屋、情報は専門誌とかミニコミ誌に依存してたよね。80年代に入るとGSや和製ロック、歌謡曲を再評価する動きが少しずつ盛り上がってきていた。僕がチェックしていたものだと、洞下也寸志さんが出してた『GS&POPS』(1983年~1989年 (有)グリーンフィールド)っていうミニコミ誌があったんだけど、そこに黒沢進(GS研究家。1980年代初頭からライターとしてGSの再評価に貢献した。)さんがライターとして参加しててね。直接電話してマイナーGSのテープをもらったりしてた。
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GS&POPS

ガイド:黒沢さん自身、まだライターを始めて間がない時期ですよね。

ジョー:そうやね。今でこそスターや大御所な人たちも、当時は非常にアングラな感じでライターしてたよ。廃盤レコードを紹介する『季刊リメンバー』(1982年~1987年 SFC音楽出版)って雑誌もあったけど、そこではクールス時代の横山剣さんやピチカート・ファイブ初期の小西康陽さんが書いてた。

ガイド:1980年代末のネオGSブームや2002年~2003年の歌謡曲ブームの萌芽みたいなものがあったわけですね。

ジョー:今にして思えばね。

特化したDJスタイル「歌謡曲=日本のソウルミュージック」

ガイド:ここまでジョーさんのバックグラウンドを語っていただきましたが、たしかにDJを始めた時点ですでに必要なネタはあらかたそろっていたわけですね。創出期の和モノDJの中でも特にJ-POP以前の歌謡曲や和製ロックに特化していたんだろうなという印象です。

ジョー:詳しい人ならいくらかいただろうけど、僕ほどこだわってDJプレイに反映した人はいないんじゃないかなと思うね。小西康陽さんが「筒美京平は東京のソウルミュージック」と言ってるのを聞いてから「歌謡曲=日本のソウルミュージックじゃないか。もっと普及させなくては」という信念みたいなものが生まれてたから。和モノイベントと銘打っておいて、洋楽のメロコアやパンクとかもかかっているイベントもあったけど、やるからには純度100%じゃ無いと意味無いしね。

後編に続く

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