演歌・歌謡曲/演歌・歌謡曲入門

元キャロル達が創出した日本最初期のレゲエ・サウンド

1970年代半ば、日本のアーティストとしていち早く和製レゲエナンバーを発表した元キャロルのジョニー大倉と内海利勝。ロックンロールのイメージが強い彼らが、なぜレゲエに触れることになったのか。二人を通して日本にレゲエが普及していった過程を再確認する。

中将 タカノリ

執筆者:中将 タカノリ

演歌・歌謡曲ガイド

R&Rからレゲエに 日本最初期の挑戦

革ジャン×革パンの衣装とリーゼント、そして日本語と英語をミックスした独創的な歌詞のスタイルを確立し、今なお和製ロックンロールの最高峰として呼び名も高いキャロル。

しかし1975年にキャロルが解散した直後、メンバーだったジョニー大倉、内海利勝がともに本格レゲエ作品を発表していたことはあまり有名ではない。時系列を明確にして書くと、内海利勝のソロ第一弾シングル『鏡の中の俺』(およびB面の『レゲェレゲェ天国』)が先で1975年10月21日、ジョニー大倉のソロ第一弾アルバム『JOHNNY COOL』(『ヘイ・レゲェ・ブギ・ウギ』『愛しのマリータ』が該当)が1976年3月5日。

もちろんレゲエに類似したサウンドがそれ以前の日本になかったわけではなく(※All Aboutテクノポップガイド四方宏明さんの『レゲエ歌謡対談~Part 1 次はレゲエ歌謡だ!』に詳しい)、もっと早くにレゲエを意識した楽曲もあったかもしれないが、一般に″和製レゲエの最初期″を創出したと言われるジョー山中や上田正樹らが本格レゲエ作品を発表したのが1980年代に入ってからだったことを考えると、かなり先取的な試みだった。かつ楽曲としてのクオリティも十分に高く、単なるコピーに留まることなく日本風のエッセンスを織り交ぜて″取り込む″ことにも成功している。

1970年代 ボブ・マーリーではなくジョン・レノン、エリック・クラプトン経由で紹介されたレゲエ

1975年~1976年当時の日本ではレゲエはまだまだマニアックな音楽であり、呼称も″レガ″だの″レゲ″だのいろいろあり、定まってなかった。それもそのはず、レゲエという音楽ジャンルがジャマイカで確立されたこと自体、ついこないだの1960年代後半のこと。ジョン・レノンがレゲエを称賛するコメントを多発したことでようやく「そういう音楽があるのか」と知ったのが1972年頃。1974年にはウェイラーズ(ボブ・マーリーが在籍)の初メジャーアルバム『キャッチ・ア・ファイア』やレゲエオムニバス『レガエ・ミュージック』が発売されたものの、商業的な成功には結びつかず。同年、すでに日本でも人気のあったエリック・クラプトンがボブ・マーリーの『アイ・ショット・ザ・シェリフ』をカバーして大ヒットさせ、来日公演したことでようやく一般の洋楽ファンにもレゲエが″なんとなく″伝わったというくらいの時期だったのだ。

いきなりあくの強いボブ・マーリーではなく、あくまで″ジョン・レノンやエリック・クラプトンを通して伝わった″ということがジョニー、内海にとってはとっつきやすかったのも知れない。それぞれ、その後の活動において特にレゲエに傾倒したわけではなかったのでパイオニアとしての評価はいまだ得られていないが、個人的にはもっと再評価されてもいいのではないかと思うし、現代進行形でレゲエにハマっているラスタボーイ、ラスタガール達が古典に興味を持った時に「日本の元祖レゲエつったらジョー山中?」「いや、ジョニー大倉とかもっと早いらしいべ」と会話できるような素地を作れたらと願いこの記事を書く次第だ。

内海利勝の場合

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鏡の中の俺


ジャマイカ出身でブリティッシュ・レゲエの先駆者『シマロンズ』をバックバンドに、ジャマイカのレゲエバンド『The Pioneers』のシドニー・クロックがプロデュースした本格的なレゲエサウンド。日本でレゲエという音楽がごく限られた層にしか理解されていなかった時期に、この面子とレコーディングしたということは日本のレゲエ史を語るうえで非常に意義が大きいのではないだろうか。あくまでレコード会社側から提案された企画だったようだが(※2007年7月26日音楽人with BANDS JAPAN『内海利勝「interview」』)、内海自身、わずかな期間で見事にそれを消化して自分のものにしているあたり、さすが名プレイヤーと呼ばれる所以である。

『鏡の中の俺』

『鏡の中の俺』はメロディー自体はあっさりしたブルース調のナンバーだが、アレンジが秀逸。いかにもレゲエ的なアフタービート、ギターカッティングの上に内海の萌え渋なブルースギターがうなり、独特のお洒落で奥深い世界観を作り出している。曲調はことなるものの、ブルースとレゲエの融合という点で先にあげたエリック・クラプトンの『アイ・ショット・ザ・シェリフ』と通じるものがある。

キャロルのロックンロール的なイメージでとらえられがちな内海だが、彼の音楽的なルーツはむしろブリティッシュなブルースロックにあり、特にエリック・クラプトンの在籍したクリームなどは好んで聴いていたようだ。この企画に臨むにあたり『アイ・ショット・ザ・シェリフ』を一つの参考とした可能性が高いのではないかと思われる。

『レゲェレゲェ天国』

B面の『レゲェレゲェ天国』は『A.CROOKS』という人物による英語詞のレゲエナンバー。プロデューサーと名字が同じなので、近親の関係者の可能性がある。サウンド面ではあまり内海色を出さず、シマロンズにゆだねた感があるものの、ネアカな曲調に内海のソフトなボーカルがとてもしっくりきており、『鏡の中の俺』に比べてよりダンサブルだ。

ジョニー大倉の場合

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JOHNNY COOL


内海利勝に遅れること約半年、ジョニー大倉がリリースしたソロ第一弾アルバム『JOHNNY COOL』に収録されている『ヘイ・レゲェ・ブギ・ウギ』『愛しのマリータ』は内海利勝のものよりグッと日本的、もしくはジョニー大倉的に解釈されたレゲエナンバーだ。

プロデューサーはキャロル初期と同じくミッキー・カーチス。ライナーノートを書いた福田一郎によると、このアルバムの楽曲は、ミッキーがジョニー手持ちの約50曲の中から選曲したもの。レーベルが内海と同じフィリップスなので、社内的にレゲエを押す空気があったのかもしれないが、両曲ともそれぞれA面、B面の一曲目に配置されていることも、なにかしら意図的なものを感じる。とは言え、ジョニーは自他ともに認めるジョン・レノン好き。ジョン・レノンがレゲエに注目していたことを知らなかったはずはないだろうから、まんざらでもなかったのではないだろうか。

『ヘイ・レゲェ・ブギ・ウギ』

タイトルの通り、レゲエとブギ・ウギの中間にあるミディアムなロックンロールナンバー。ジョニーは大貫憲章との対談で

「昨年の夏(1975年)、ポップ、ロック界でレゲエが大変話題のミュージックということで、一応僕もミュージシャンとして無関心じゃまずいんで、色々聴いて研究してみたんだけど、でも僕の音楽と言うのはロックン・ロールなんだから、レゲエそのものに固執してるわけじゃないんだ」

と語っているが、まさにその通りの作品。リズムがもったりしていること以外に特にレゲエ的な特徴はないが、結果的に生まれた独特の情緒は後の『ダンシング・オール・ナイト』に通じる和製ラテンロックの萌芽と言っていいかもしれない。

また歌詞の面でもジョニー流のこだわりが垣間見える。レゲエには元々、政治や社会を風刺した歌詞、大麻などのドラッグによるトリップ状態を表現した歌詞が多いのだが、この曲でジョニーが表現した世界観は「南の国からやってきた 楽しいリズム」という歌詞中の一節に尽きる。作詞家として日本のポップ、ロックシーンに大きな影響を与えた彼が、レゲエの持つメッセージ性に気が付かなかったとは考えにくい。気付いた上で、あえて無視したのではないかというのが筆者の見解だ。

ジョニーはキャロルが解散後、在日コリアンであることを公開し、在日問題を扱った映画『異邦人の川』に主演。主題歌の『いつになったら』でソロ・デビューを果たしているが、本人いわく「在日を告白した途端に仕事が来なくなった」くらい、世間の反応はシビアなものだったらしい。有名芸能人としてはかなり早い段階でのカミングアウトだったことと、時代的な悲しい限界が壁になったのだろう。

しかし、誤解を恐れずに言うと、ジョニーは政治的、社会的なテーマよりも、キャロル期の作品のように切なくデリケートな愛の世界を歌うほうがはるかに魅力を発揮するキャラクターだ。ソロデビューをきっかけに毛色の違う作品にもチャレンジしようとしたが、早々に壁にぶち当たってしまい、あらためて本来の路線に立ち返ろうとしたのがこの作品なのではないだろうか。

『愛しのマリータ』

『ヘイ・レゲェ・ブギ・ウギ』にくらべ、ややアップテンポでさらにラテンと言うかカリブと言うか南国調なナンバー。ギターのカッティングもチャカチャカしていてよりレゲエっぽい。非常に楽しい曲調だ。歌詞のテーマはさほど変わらないが、あえてツッコムと”マリータ”というのは奥さんのマリー大倉さんのことだと思われる。その奥さんを南国の少女に見立ててラブソングを作ってしまうあたり、その人柄が推しはかられるではないか。やっぱりジョニーはこうでなくっちゃ。

終わりに

いかがだっただろうか。元キャロルの二人を通して、日本にレゲエが普及していていった過程が、断片的ながら紹介できたのではないだろうか。彼らの活動によりレゲエが広まったとはけっして言えない。レゲエが直接的に認知されるようになったのは1979年にボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズが来日して以降のことだが、しかしそれより前にこういう動きがあったということは日本の音楽史を語るうえで非常に興味深い。音楽は温故知新。先達の挑戦に興味を持ち、新たなる創造や楽しみに活かしてくれる人が増えることを祈るばかりだ。
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