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怪談の代名詞・稲川淳二の怖さの核心に迫る

今や怪談の代名詞との呼び声も高い稲川淳二。去る6月24日、前立腺がん公表以降、初のイベントがナムコ・ナンジャタウンで開催されました。「稲川怪談」と呼びたい独自の語りは、依然として健在でしたが、その恐ろしさはいったいどこから来るのか? じっくり考えてみました。

広川 峯啓

執筆者:広川 峯啓

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稲川の夏、怪談の夏

南の方から徐々に梅雨が明け、夏本番の暑さを感じ始めると、無性に怪談を聞きたくなってきます。これって四季の国に暮らす日本人ならではの傾向かもしれません。恐怖と季節感を結び付けるなんて、諸外国の方々からすると相当不思議な民族に見えるでしょうね。

そんな、怪談好きにとってのスーパースターと言えば、やはり稲川淳二の名前がいちばんに挙がるのでは。今や怖い話の代名詞にまでなってしまってますが、もしこの人がいなければ、ここまでの怪談人気は有り得なかったかと思います。


従来の語りと一線を画す独自の語り

毎年、夏になるとテレビで心霊特集など頻繁に放送されてきましたが、昔から再現映像などで構成されたものが主流でした。どうしても視覚からの刺激が中心で、ストレートではあるものの、恐怖感というより反射的なショックを与えるものが大部分でした。

落語家や講談師が怪談を語ることはあるものの、あくまでも演芸としての括りでした。時々喋りのうまいタレントがテレビで怪談を語ることがあっても、あくまでも余技であり、どこかで聞いたような話だったりもしました。

しかし、稲川淳二の語る怪談は、他とは一味も二味も違ってました。凄みのある低音でゆっくりと語る従来の型とは正反対、やや高音気味の早口で息もつかせずに語る口調。それが新たな怪談の魅力として評価され、いつしかリアクション芸の稲川淳二から、怪談の稲川淳二へと“肩書き”が変っていったのでした。


1993年、怪談ツアーのスタート

“怪談の稲川淳二”と肩書きが変っていった後、稲川怪談の影響を受けて、淡々と自分の口調で怪談を語るタレントが多く出現し、怪談のスタイルが大きく変わることになったのです。

その中で、全国ツアーの「稲川淳二の怪談ナイト」がスタートしたのが1993年。年々規模を拡大させながら連続公演を続け、今年でなんと20年目を迎えます。怪談の金字塔と言っても決して過言ではないでしょう。

6月24日(日)、20年目を迎える怪談ナイトを前にして、「MYSTERY NIGHT TOUR 2012 稲川淳二の怪談ナイト20周年記念スペシャル・イベント」が池袋・ナムコ·ナンジャタウンで開催。この日は抽選で選ばれた観客を前にして、選りすぐりの怪談を2話披露した後、8月13日を「怪談の日」と正式認定され、セレモニーが実施されました。

1時間を超えるイベントを通して、ノンストップで語り続けた稲川さんは、70歳近いとは思えないパワフルさを発揮しました。周囲のスタッフが冗談で「喋る病気」と称したのもうなづけます(笑)。

そのマシンガントークに耳を奪われ、気付かない人も少なくないかもしれませんが、稲川怪談は従来の怪談と一線を画した新しさを持っています。その代表的な作品が、今回のイベントでも語られた「鏡のない洗面台」ではないでしょうか?


>>「鏡のない洗面台」の真の怖さを味わうために重要なこととは?
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