江戸時代の東京は今よりも
東に重心があった
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| 東京都の地図で考えると皇居は中心よりも東寄りに位置している |
江戸時代以前にも東京は存在はしていたものの、1590年の徳川家康入府までは広大な武蔵野のごく小さな寒村。そこを徳川幕府が長年に渡って開発し、今の東京に発展してきたわけですが、江戸時代と今では都市の中心部はかなり違う位置にありました。
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| 江戸時代の東京は水路が縦横に走り、イタリアのベニスにも匹敵する水の都だったといわれているが、今、その面影を探すのは難しい |
下図は江戸時代の市域の概念図。よく時代劇では江戸市中とか、御府内という江戸市域を表わすような言葉が出てきますが、実は江戸幕府では身分によっての統治制度はあったものの、それを横断するような行政機関がなかったため、江戸市域は長らく明確になっていませんでした。正確にどこからどこまでが江戸ですというのが示されたのは1818年になってからで、しかも、このときも町奉行の支配下にあるエリア(下図に示したもの)と札懸場境筋並びに寺社方勧化場境筋と、2種類の市域が示されています。どこの役所が管轄する地域か、という示し方です。この時点では街づくりが始まって200年以上も経っていますから、それ以前の江戸はそれよりもっと小さく、色の薄いグレイから順に濃いグレイのラインにというような形で成長していったのではないかと想定されます。
江戸時代の「市中」の範囲概念図 |
| 江戸時代の東京は皇居周辺から外へ、外へと成長していったと考えられている |
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| 富岡八幡宮や浅草寺、亀戸天神など東側にある寺社のにぎわいは今以上のものだった |
見てすぐに分かるのは、街の中心が今よりも東にあるということ。中心は江戸城、今の皇居で、そこから東側の隅田川までのあたりが当初の市街地だったわけです。逆に西側は山手線ぎりぎりのラインまでが江戸。現在の行政区で言えば、千代田区、中央区、港区、新宿区、文京区、台東区、墨田区、江東区、品川区の一部、目黒区の一部、渋谷区、豊島区、北区の一部、板橋区の一部、荒川区で、現在住宅地として人気のある世田谷区や杉並区、大田区など西側の区は入っていません。
ではなぜ、その人口が西に移ったのか。次のページで解説します。