文章:辻 雅之(All About「よくわかる政治」旧ガイド)
(記事掲載日/2007.10.02)
ミャンマーにおける流血の惨事は国際的な注目を浴びました。なぜ、このようなことが起こったのでしょうか。「9月事件」の背景などについて、一問一答形式でお話ししていきましょう。
1ページ目 【ミャンマーの大規模デモ、その背景は果たして?】
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【謎に包まれているミャンマー軍事政権とは?】3ページ目
【なぜ中国・インド・ロシアはミャンマーに接近するのか】大規模なデモはなぜ起こったのですか?
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| 東南アジアの西端、中国とインドにも国境を接するミャンマー |
直接のきっかけは、8月に決定・実行された、軍事政権による燃料価格の引き上げでした。BBCによると、ガソリン価格の倍増によって、米など食料を運送する費用が高騰、結果食料品の価格が暴騰したということです。
こうして、実際には8月から、ミャンマーの主要都市ヤンゴン(ラングーン)などで反政府的なデモ行進が行われるようになっていました。軍事政権の弾圧によってもその拡大を防ぐことはできず、拡大し9月末の惨事を起こしてしまいました。
ただ、燃料価格問題はあくまできっかけの1つです。大規模デモの背景には、ミャンマーの深刻な経済事情、そしてそれに対する国民の不満がくすぶっていたことがあったのです。
この十数年、ミャンマーは軍事政権主導のもと、市場経済への移行を進めています。この過程のなか、経済発展はさほどでもないのに、物価が非常に高くなってしまいました。この10年で、ヤンゴンの消費者物価は5倍ほどになっています。
これは、一人当たりGDPがおよそ200ドル、つまり年間所得が平均で2万円程度の国民にとって、非常に大きな負担であることは明からです。
そんななかで、追い討ちをかけるような食糧などの高騰によって、国民の不満が爆発したということがいえます。
経済的な問題だけが、大規模デモの背景なのですか?
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| 1997年を100としたヤンゴンの消費者物価指数。1999年はデータなし。2006年は3月までの数値。 |
もちろんそれだけではありません。するといいながらまったく進展しない民主化、軍事政権の長期化とその独裁ぶりに対する不満も、今回のデモの大きな背景の1つです。
1988年、ミャンマーでは民主化運動がさかんになりました。この運動を押さえられなかった当時のネウィン政権にかわり、国軍がクーデター的に実権を握り民主化運動を弾圧、軍事政権を樹立しました。
軍事政権はやがて民主化を進めるといい始め、1990年には総選挙を行いました。しかし、即時の民主化を求めるNLD(国民民主連盟)が議席の8割を占める圧勝をすると、軍事政権は国会召集を拒み、NLDを弾圧、今日に至っています。
そんな強権的な軍事政権に対する不満、そしてその軍事政権のもとでの経済の不振、国民生活の悪化、そのようなことに対する不満が、国民たちのあいだでくすぶり続けてきたのです。
なぜ、今回のデモには僧侶が深く関わったのですか?
隣国タイと同じく、国民の8~9割が仏教徒であるミャンマーでは、僧侶たちへの国民への敬意は強いものがあります。
そんなミャンマーの僧侶たちは、歴史的には、権力から離れて活動してきた存在です。権力にすり寄ることはなく、世俗から離れて修行をしてきました。
そして貧しい社会では、経済的理由から子どもを仏教の修道院に預け、僧侶にすることが少なくありません。
そんな僧侶たちにとって、貧困と軍事政権の強権に苦しむ国民たちの姿は、彼らにとってまったく他人ごとではないのです。
またミャンマーには、1930年代の反植民地運動などにおける僧侶の活動など、必要なときには国民のために権力に立ち向かってきた歴史があります。
このようなことを背景として考えると、現在の民衆の苦しみをなんとかしようと、最後の手段として僧侶たちが立ち上がったのは、必然的なことだったように思えます。
次ページでは、
軍事政権とアウンサンスーチーら民主化勢力について、お話ししていきましょう。