文章:辻 雅之(All About「よくわかる政治」旧ガイド)
(記事掲載/2007.07.01)
毎週日曜日にお送りしている政治用語解説。今週はイスラム原理主義組織ハマスが全土を掌握した「ガザ地区」についてです。ガザ地区とは、どのような経緯で成立した地域なのでしょうか。
当初エジプトに占領されていたガザ
 |
| ガザ地区、ヨルダン川西岸地区の位置。 |
話は1948年、イスラエルの独立とそれにともなう第1次中東戦争の勃発にさかのぼります。
パレスチナの地に続々と入植してきたユダヤ人と、それに反発する現地のアラブ系・パレスチナ人との対立は第2次大戦後さらに深まっていきました。そして、ユダヤ人が独立国家イスラエルの建国を宣言すると、これに反発したアラブ国家はイスラエルに対し宣戦布告、第1次中東戦争となりました。
しかし、これは周辺諸国のさまざまな思惑がからんだ戦争でもありました。特に隣接するエジプト・ヨルダンはこの戦争によって自国の勢力拡大を目指しました。
こうして、ガザ地区はエジプトが、ヨルダン川西岸地区はヨルダンが、それぞれ占領し、パレスチナは3分割されてしまい、パレスチナ人は「国なき民」となってしまったのです。
ガザ地区が「パレスチナ人の土地」に
1967年、イスラエルは電撃的な作戦によりガザとヨルダン川西岸を一気に占領してしまいます。この戦争を第3次中東戦争といいます。
エジプトらアラブ諸国は巻き返しをはかり、1973年に第4次中東戦争をおこしますが、占領地の奪還までは実現しませんでした。
ここでエジプトは、イスラエルとの和平を模索しはじめます。エジプトはガザだけでなく、広大なシナイ半島までも占領されていたので、戦争ではなく、和平による領土回復を図ったのでした。
アメリカのカーター大統領仲介のもとで行われたキャンプ・デービットによるエジプト・イスラエル首脳会談により、両国は平和条約を結びました。大半の占領地のエジプト返還が決められると同時に、ガザ地区は「パレスチナ人の自治地区」とすることとされ、エジプトは事実上ガザ地区を放棄します。
もっとも、ガザ地区のパレスチナ人による自治が始まったのは1994年まで待つことになります。イスラエルは依然としてパレスチナ武装組織、PLO(パレスチナ解放機構)と戦っていたからです。
PLOからガザ地区の主導権を奪ったハマス
PLOは、1982年のレバノン戦争によって幹部が中東から追放されると、次第にパレスチナ人に対する求心力を失っていきました。
特に、1980年代後半、イスラム原理主義組織ハマスがガザ地区を中心に活動するようになり、ガザのパレスチナ人たちはPLOからしだいにハマスのほうに接近するようになります。
また1993年、オスロ合意によりイスラエルとPLOの和解が成立し、PLOがイスラエルと接近するようになると、反イスラエル感情の強い人々は、ハマスに傾斜していくことになります。
こうして、ヨルダン川西岸ではPLO=ファタハが、ガザではハマスが優勢、という構図ができていったのです。
パレスチナは分裂国家になる?
 |
| パレスチナ2大勢力、ハマスとファタハの違い |
パレスチナの自治地域はヨルダン川西岸とガザ地区というふうに、飛び地になっています。ハマスが実力でガザ地区を制圧したことにより、パレスチナは完全に分裂状態になってしまいました。
ヨルダン川西岸に本拠を置き、パレスチナ自治政府の主要勢力であるファタハは基本的に世俗主義、つまり宗教からちょっと距離をおいた、エジプト型の国家をめざしています。
一方のハマスは、イスラム原理主義を全面に押し出し、イスラム国家の樹立を目標にしています。
また、イスラエルとの対話路線を重視するファタハに対して、ハマスはそもそもイスラエルの存在自体を否定しています。両者の溝は大きなものがあります。
このまま自体が進展していくなら、将来パレスチナが正式な独立国家となったとしても、ヨルダン川西岸とガザ地区は、それぞれ別の国家に、すなわち「分断国家」になってしまうかもしれません。
★おすすめINDEX
「中東(トルコ含む)」