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終戦と「昭和天皇退位工作」(3ページ目)

終戦前後、昭和天皇を退位させようとする動きがあったことは知られてはいても、その詳細を知っている人は少ないでしょう。それは盛り上がり、しかし挫折したのでした。

執筆者:辻 雅之

1ページ目 【なぜ書かれた『昭和天皇独白録』、その背景】
2ページ目 【近衛文磨による昭和天皇退位工作とその挫折】
3ページ目 【おもわぬ身内の「反乱」、そして昭和天皇の「第2の聖断」】

【おもわぬ身内の「反乱」、そして昭和天皇の「第2の聖断」】

止まらぬ「昭和天皇退位論」

1946年2月、枢密院(明治憲法下での天皇の最高諮問機関)で、昭和天皇の3人目の弟、三笠宮崇仁親王が、遠まわしに「天皇退位」を求めました。

『芦田均日記』(芦田はのちの首相)によると、そのとき昭和天皇の顔は青ざめ、神経質な態度をあらわにしたといいます。

また、東久邇宮も、前ページで出てきたAP通信のラッセル記者に対し、こちらはわりとストレートに、天皇退位の必然性について語り、そして、「それに多くの皇族が賛成している」と述べているのです。

思わぬ皇族からの「反乱」は、昭和天皇にひとつの決断を迫りました。

マッカーサー草案と昭和天皇

そのころ、天皇の権限をまったくなくした象徴天皇制を規定する新憲法案が、マッカーサーから示されていました。この内容には政党政治家たちも、宮中も、そして天皇も驚き、受け入れに躊躇します。

しかし、相次ぐ「天皇退位論」に、天皇は反応せざるをえませんでした。「象徴天皇制」を受け入れ、マッカーサーが望む自分の皇位続行に、応じることにしたのでした。これが「第2の聖断」と一部で言われているものです。

そして新憲法制定、施行。と、GHQは、「象徴天皇制のため」と、直系宮家を除く11宮家すべての皇籍離脱を勧告。これは、うがったみかたですが「天皇退位論」に対する報復だったのでしょうか。もっとも、先の東久邇宮は自ら皇籍離脱を申し出てはいたのですが。

※拙稿「旧皇族の成り立ちと現在」もご参照ください。

「三笠宮発言」と高松宮

さて、なぜ三笠宮は唐突に昭和天皇退位論を述べたのでしょう。詳細はわかりません。

しかし、三笠宮の兄で、昭和天皇の弟、高松宮の動きが影響していないとは、いえないでしょう。

高松宮は先にも述べたとおり「天皇退位論者」近衛との結びつきが強かった人でした。すでに終戦前、近衛とたびたび会い、「退位した際、高松宮が摂政につく」ことを、話し合っていたとも言われます。

そして終戦前から、このことが原因で天皇と高松宮の間には次第に大きな対立が生まれてきたようです。

それが、三笠宮発言にどのような影響を及ぼしたかはわかりません。しかし、宮中で孤独な昭和天皇と、割と自由に動きがとれる高松宮、三笠宮がどのように結んでいたか、想像できないことはありません。

ちなみに、1975年2月号の『文藝春秋』に、高松宮のインタビューが掲載、自らを「和平派」と語る高松宮の記事に昭和天皇は激怒したといいます。また、高松宮が「昭和天皇は戦争をとめることができた」という発言があったということも(高松宮の死後発覚)、問題になりました。

退位できなかった昭和天皇

しかしながら、昭和天皇は退位しようとまったく考えなかったわけではありません。むしろ、積極的に考え、その意向を示していた時期もありました。

敗戦直後、昭和天皇は退位を木戸内大臣にもらしています。木戸幸一日記の8月29日の項から一部引用します。

戦争責任者を連合国に引渡すは真に苦痛にして忍び難きところなるが、自分が一人引き受けて退位でもして納める訳には行かないだろうかとの思し召しあり。聖慮の宏大なる誠に難有極みなるも、……その結果民主的国家組織(共和制)等の論を呼起すの虞(おそ)れもあり、是は充分慎重に相手方の出方も見て御考究遊るゝ要あるべしと奉答す。

その後、東京裁判終結時、そして占領終結時の2回、天皇は退位の意向を漏らしたといいます。しかし、ワシントンの意向で、それは実現しませんでした。昭和天皇の退位は、東京裁判の正当性を揺るがしかねない問題だったからです。

昭和天皇のその後

その後の昭和天皇の仕事は、「象徴天皇」としての天皇像を国の内外にアピールすることでした。そのため、積極的に日本だけでなく、海外にも訪問しました。

1975年、昭和天皇はアメリカを訪問、ディズニーランドでミッキーマウスとなかよく写真を撮っています。人々は「昭和天皇は無害で平和愛好者であり、戦争責任などない」というワシントンが創り上げた「神話」を「再確認」するものだった、のかもしれません。

「カゴの鳥だった私にとって、あの旅行(筆者注:皇太子時代のヨーロッパ訪問)ははじめて自由な生活ということを体験したものだった。あの体験は、その後の私に非常に役立っていると思う」

敗戦直後、昭和天皇はこのようなことを記者に話していますが、言ってみれば、あの旅行以外はすべて「カゴの鳥」だったのでしょう。そしてそれは戦後も続くことになります。

そして1989年、昭和天皇崩御。87年、激動の生涯だったことはだれも否定できません。

「終戦と「昭和天皇退位工作」」についての参考書籍・資料はこちらをごらんください。

▼こちらもご参照下さい。
大人のための教科書 政治の超基礎講座

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◎終戦前後の昭和天皇を知る重要な資料『木戸幸一日記』


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