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尖閣諸島問題の基礎知識

中国人活動家が上陸、沖縄県警に逮捕された「尖閣諸島問題」。日中関係に影を落とすこの問題の基礎知識を解説します。

執筆者:辻 雅之

1ページ目 【尖閣諸島の基礎知識】
2ページ目 【先鋭化してきた領有権論争】
3ページ目 【尖閣諸島領有の根拠とは】

【尖閣諸島の基礎知識】
領有権問題が発生したのは1970年代になってから


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尖閣諸島。日本が抱える領土問題のうち、比較的最近、クローズアップされてきたものの一つです。北方領土や竹島(韓国と領有をめぐって争い)と違い、はっきりいって1970年代くらいまでは、尖閣諸島はあまり問題視されていませんでした。

尖閣諸島は中国と沖縄(琉球王国)間の航路の目印として、古くから知られていました。しかし、そこに人が住み着くことはなく、無人島の状態が続いてきました。このあたりのことは、中国の古い文献などに書かれているようです(それが中国領有論の根拠のひとつになったりしているのですが)。島には中国名、日本名などがつけられていました。

さて、沖縄すなわち琉球王国は明治に入って琉球藩、そして沖縄県となり、日本に併合されました。そして沖縄の西方にある尖閣諸島も、領有の意思を持つようになります。しかし、このころから当時中国を支配していた清朝との関係がぎくしゃくしていて、明確な尖閣諸島の領有宣言はしないでいました。

そんなこんなしているうちに、日本のプチブルジョワたちが尖閣諸島にいって、もっぱらアホウドリの羽毛をとったり、また開拓を行おうとする人びとも現れてきていたので、もはや尖閣諸島を日本の領土にしないわけにはいかなくなりました。

そこで日本政府は、日清戦争(1894~95年)で日本が勝ったことをきっかけにするかたちで、1896年、尖閣諸島の領有を閣議決定しました。尖閣諸島は沖縄県の所轄となり、八重山郡に編入されました。ちなみに現在は石垣市となっています。

その後、第二次世界大戦で日本は敗北、アメリカの占領統治を経て独立しますが、そのとき交わしたサンフランシスコ条約で、「北緯29度以南の南西諸島」、つまり奄美、沖縄がアメリカの信託統治におかれることになります。アメリカはその後、尖閣諸島もアメリカの施政権(統治を行う権利)のもとに入るとし、尖閣諸島はアメリカの信託統治化におかれます。

そんななか、尖閣諸島の領有権問題がおこったきっかけは、1969年、国連アジア極東経済委員会(ECAFE)が行った海底の資源調査がきっかけでした。調査結果は、尖閣諸島から、東シナ海、黄海にかけての海底に有望な資源が眠っているというものでした。

1967年の日米首脳会談で近年中の沖縄返還が既定路線となっていたなか(沖縄返還協定調印は1971年)、日本はさらに調査し、尖閣諸島の海底を中心として石油や天然ガスが豊富に埋蔵されていることがわかったのです。

しかし、この結果を受けてから、中国や台湾の領有権主張がはじまることになります。

まず、その当時まだ中国を代表していて、日本と国交があった台湾政府が、尖閣諸島の領有権を主張します。1970年台湾は尖閣諸島の領有を公式に主張、同年末中国の報道機関新華社も尖閣諸島が中国の領土であるという報道を行いました。ここに、「尖閣諸島問題」が幕を開けることになるのです。

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