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田中角栄なる生きザマを学ぶ

人に慕われ、多くの人材を集めた「昭和の藤吉郎」田中角栄から、人心を“ワシづかみ”するカネの使い方を学ぶ。キーワードはサプライズ(驚き)

執筆者:角田 正隆


田中角栄元首相
参考文献『田中角栄―その巨善と巨悪』タイトルが毀誉褒貶(きよほうへん)相半ばする人生を暗示する
戦後最大の宰相と呼ばれ、人に慕われ、多くの人材を集めた「昭和の藤吉郎」田中角栄から、人心を“ワシづかみ”するテクニックを学ぶ。キーワードはサプライズ(驚き)だ。

Contents
1.角栄流「生きガネの使い方」早く! 広く! 多く!
2.原則1「カネ渡しのヒット・アンド・ウェイ」
3.原則2「カネの無差別攻撃」
4.原則3「実弾の絨毯爆撃」
5.毎日にサプライズを

田中角栄元首相 プロフィール

1918年新潟県西山町生まれ。33年尋常高等小学校高等科卒業。土木工事で働く。34年上京、土建会社に勤務しながら、学校で設計を学ぶ。37年独立、共栄建築事務所設立。39年~41年軍隊に入隊。43年田中土建工業設立、社長就任。46年初の衆議院への立候補をするも落選。

47年衆議院議員に初当選を果たす。57年郵政大臣、当時39歳の最年少大臣。62年大蔵大臣、71年通産大臣など要職を歴任。72年第64代内閣総理大臣就任、「列島改造計画」を打ち上げ世の脚光を浴びる。同年、懸案だった「日中国交正常化」を果たす。74年総理辞任。

76年ロッキード疑獄事件で逮捕される。以後、87年に田中派が消滅するまで、自民党内の最大派閥の領袖として権勢を振るう。あだ名は「闇将軍」。89年政界引退。93年死去。田中真紀子衆議院議員は長女。

カネさえあれば、何でも買える

田中角栄は長く日本の政治を牛耳った
「カネさえあれば、何でも買える」と、ある著名な経営者が発言したかどうか定かではないが、それが かすむ ぐらい、スケールの大きな男が、カネで日本の政治を支配していた。

田中角栄(元首相・故人)は、金権政治と批判を浴びながら、自民党内に最大派閥「木曜クラブ」を結成、首相辞任後も「闇将軍」として長く政界を牛耳った。

権力を極めた角栄だったが、政治家としてはめずらしく小学校卒。もちろん官僚出身でなければ2世議員でもない。裸一貫で総理まで登りつめた人生を、農民から身を起こした豊臣秀吉にたとえ「昭和の藤吉郎」と呼ばれた。

キーワードは“サプライズ”

当時の政界は2世議員・官僚出身者に有利だった。ではなぜ、小学校卒の角栄が最大の権力を握ったのか? 

その答えが「カネ」だ。角栄は大量のカネを集め、自らの権力を増大させた。とはいえ、当時はどの議員もカネで政治を動かそうとしていた。角栄はその中でも図抜けてカネ使いが巧みだったのだ。

そのキーワードは“サプライズ(驚き)”といえる。角栄はカネを渡すという単純な所作に「驚き」を演出、没後も角栄とカネについて多くのエピソードが語られるほどだ。その見事な使いっぷりは、一流のエンターテイナーも顔負けかもしれない。

角栄流「生きガネの使い方」を、そのエピソードから学ぶ。

>角栄流「生きガネの使い方」は、早く! 広く! 多く!

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