
「田舎暮らし」。自然の癒しに囲まれて、趣味を活かした仕事での~んびりと晴耕雨読。
「起業」。安定収入を手放し、ゼロからスタートするモチベーション(やる気)・スピリット。
この一見相容れないような二つの視点をクロスさせ、田舎で果敢に挑戦している人達がいます。
以下、田中淳夫氏著の「田舎で起業!(平凡社新書)」を参考にさせていただき、起業・仕事という視点から眺める、新しい田舎暮らしの生き方の提案をご紹介します。
さて、彼らはどんな発想でどんなやり方で、田舎でのビジネスとライフスタイルを実現したか。
山中に建つ巨大ログハウス

今回の舞台は、京都府宮津市木子。日本海に突き出た丹後半島に広がる、高原の一角にある集落です。
山道を登ると、視界の開けたなだらかな盆地状の世界が広がり、そこにポツンポツンと民家が点在しています。そのなかにそそり立つ、四階建ての巨大ログハウスのペンション。山村のイメージを吹き飛ばす迫力の丸太の家は、素人の家族が二年以上かけて自ら建設したものです。
袋小路的な山中での宿泊業。しかし春夏秋冬、来客は途切れないといいます。
こんな起業に挑んだのが、Uさんとその家族。彼らの歩みは、何もない田舎で宿泊業を開業する際のヒントが詰まっていますが、それに止まらず個人のビジネスを越えた大きなプロジェクトにつながり、地域を動かしているのです。
*写真提供/大井啓嗣さん問題児との交流がきっかけに
Uさん家族は、この田舎に移るまでは鎌倉に住んでいました。
Uさんはフリーの作曲・演出家。同時に劇団を率いて、主にミュージカル系の作品を上演しており、研修生も含めると常時70人以上を抱える大所帯だったといいます。
劇団の運営は順調で大きな作品を次々に発表していましたが、やがて転機が訪れます。きっかけは、移住する4年ほど前から定時制高校の音楽教師を務めたことでした。
「すごかったねぇ。最初に出欠を取るとみんな教室からいなくなるんだもの。黒板にナイフが飛んでくるし。定時制といっても社会人が学ぶ場ではなく、全日制高校に進めない連中の溜まり場になっていた」
そんな生徒たちの存在が不思議になったUさんは、彼らに対話を呼びかけます。
いきなり怒号が響き、生徒たちは口々に中学時代に学校から受けた仕打ちを語りだしました。それはいわゆる落ちこぼれを容赦なく切り捨てる現在の教育制度の暗部でした。Uさんは初めて知った現場の実態に衝撃を受けます。
それ以後、定時制高校生たちとの奇妙な交流が始まります。
「生徒の一人が暴走族で、一緒に旗を振りながら何十台のバイクの先頭をオープンカーで暴走したこともあったな。あれは気持ちよかった」
一方で舞台に対する情熱も急速に冷めてきます。どんなに精魂費やして仕上げた舞台も、一週間ほどの上演で終わる。そして忘れ去られ、次の新しいものを求める。これは文化の使い捨てだ。Uさんは、そんな貪欲な東京に嫌気がさしてきます。
家族で家づくり

Uさんは一年目には農林漁業体験実習館の館長を務め、その合間に土地収得の交渉を行い500坪ほどの土地を手に入れます。二年目は木子の廃屋に住んで、スクールバスの運転手をしながら家づくりに取りかかります。
コンクリートの基礎打ちは業者に任せましたが、作業は基本的に家族だけで行いました。ただ大工になったかっての教え子が助っ人に来たり、友人たちが休みを利用して手伝いに来てくれました。
Uさんが設計図を書き指揮を執ります。丸太は皮剥ぎから始める。道具類はチェーンソーと中古で買ったクレーン車、そして廃車のダンプ。クレーンの操作は、奥さんの担当でした。
起工してから完成まであしかけ3年。
「市にペンションの開業届を出したら、こんな所に客は来ないから無理だと止められましたね。でも、絶対来ると言い張りました。都会人ならこの環境を喜ぶと確信していましたから」
特別に宣伝もしない。ただ友人たちを集めてオープンニングセレモニーを行ったことと、ログハウスを家族で建てる様子がテレビや新聞に紹介されたことから、第一号の客はやって来ました。
やがて、木子の環境が口コミで広がります。>>