テニス/テニス関連情報

プロ米村明子の終わらない挑戦

今年USオープンに初めて挑戦した21歳の米村明子。コーチと本気でぶつかったのきっかけに彼女は大きく成長した。今回は、米村のいままでの軌跡を追い、今後の展望をご紹介していこうと思う。

執筆者:吉川 敦文

米村明子、1984年生まれの23歳。6歳でテニスを始め、2004年4月当時世界ランキング700位台でプロ転向。以降、順調にランキングを上げ、現在222位まで這い上がり、USオープンの予選に出場するまでになった今後の活躍が期待される選手のひとりだ。

その超攻撃的なテニスが売りの米村だが、順風満帆ここまできたわけではない。今回は米村のいままでの軌跡を追い、今後の展望をご紹介していこうと思う。

「もうやめようか」。コーチ高田充からの厳しい一言

米村明子
立ち直りがたい敗退から、米村はUSオープン2007グランドスラム予選出場を果たす
プロに転向して約1年経った2005年5月、米村は賞金総額5万ドルの福岡国際女子テニスコート上に立っていた。

当時ランキング476位の米村にとって賞金総額5万ドルの大会は、自分がどれくらいできるのか挑戦してみる舞台。ただWC(主催者推薦)で出場した本戦1回戦、岡本聖子(当時245位)に1-6、1-6で完敗。想像以上に厳しい現実に追い討ちをかけるように、コーチ高田充の言葉は厳しかった。

「もうやめようか?」

泣きながら下を向く米村は、その言葉を聞いて呆然とした。

「スコアの問題ではない。プレーしている中で、覇気を感じない。プロ選手としてやっていく上で大切するべきものをまったく感じることができなかったんだ」と高田は振り返る。高田が選手にここまで本気で怒ったのは初めてかもしれない。思いはもちろん、その言葉とは裏腹に「このままでは駄目だ。これで終わりたくない」だ。

茫然自失の状態から30分くらい経過すると、米村自身、高田の言葉が徐々に頭に入るようになる。コーチ・選手の関係を結んで以来、2人にとって初めて本気の話し合いが成立したと感じた瞬間であった。

お昼に試合が終了し本来なら空腹で仕方がないところなのだが、手元にあったバナナだけを食べ、スポコン漫画顔負けの4時間以上ぶっ通しの練習を実施。本来なら空腹が気になって仕方がないところなのだが、米村はなぜかとても集中できていた。

福岡から2週間後の長野、賞金総額2万5千ドルの試合でベスト8に入った米村は、その勝利をきっかけに少しずつに試合で勝てるようになる。

米村は自ら積極的に練習テーマを作るようになり、コート上ではプロ選手として勝負を追求する表現ができるようなったとこの頃感じ始める。攻撃的なテニスが空回りすることもあるが、それでも以前のような試合を完全に捨ててしまうようなことはなくなった。

>>挑戦を経るなかで、己の力を高める>>
  • 1
  • 2
  • 次のページへ

あわせて読みたい

あなたにオススメ

    表示について

    カテゴリー一覧

    All Aboutサービス・メディア

    All About公式SNS
    日々の生活や仕事を楽しむための情報を毎日お届けします。
    公式SNS一覧
    © All About, Inc. All rights reserved. 掲載の記事・写真・イラストなど、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます