文章:井田 英登(All About「K-1・PRIDE・格闘技」旧ガイド)
誰が格闘技を殺すのか?
 |
| 豆粒のようなリングの上の攻防に一喜一憂する、数万人の観衆。ブームが終焉したとき、この光景ももう見られなくなるのか? |
ブームの終焉は、常にスキャンダルとともに訪れる。
一過性の熱病的なブームは、いかなるジャンルであれ、そこに群がる人々の雑多な欲望によって、栄華の頂点で失速する運命にある。ファンの高まった期待を裏切るように、利権の衝突、関わる人間の足並みの乱れ、軸となる理念のぶれ、などが次々に表面化し、ブームは急速に熱を失って行く。
今年に入って、格闘技業界では二つの象徴的“事件”が同時多発的に表面化した。ーーー「修斗代々木大会における山本KID徳郁の暴行事件」と、「2003年末猪木祭における暴力団の介入疑惑」が、それである。
スター選手の暴走と、人気ビッグイベントに群がる暴力団の影。いずれも看過してしまうことはできない大きなスキャンダルである。現段階ではいずれも事件の本質がすべて明らかになったとは言えず、まだ火種がくすぶったままの状態が続いており、事態の進展によっては現在の“格闘技ブーム”自体が消沈しかねない。
折しも昨年末、恒例となった大晦日イベントの視聴率競争では、紅白歌合戦が盛り返しを見せ、これまで攻勢一途であった格闘技イベントサイドは惨敗を喫したばかり。「これで数年来の格闘技バブルも終わりか」と思われた丁度この時期に、これらの事件の発生時期が重なったことは、単なる偶然なのだろうか。むしろ、僕にはこの業界が抱える潜在的な問題が、ブームの折り返し点である現在を機に表面化しただけのようにも思える。
今回、文藝春秋社の『Number』本誌で布施鋼治氏、そして『Number WEB』では石塚隆氏といったフリーの格闘技ライターが、これらのスキャンダルに「ゴング格闘技」誌の休刊騒動を加えた三題噺を取り上げ、遺憾の意を表明している。しかし、業界最古参の“格闘技専門媒体”『格闘技通信』は、わずかに白黒ページの囲みとしてKIDの騒動と和解会見を取り上げたに留まり、ほぼ全くと言っていいほどこの件に関して黙殺の姿勢を貫いた。
元々スキャンダル的な話題に対して、格闘技マスコミというのは概ね無力だ。スポーツとしてリングの上を語ることには長けていても、社会に繋がる問題として自分たちのジャンルを語る言葉を持っていない。
語弊があるのをあえて承知で言わせてもらうなら、ジャンル記者には専門畑の競技に対する“目”はあっても、そのジャンルで起きてしまった社会的事件に対しての“視線”は持ち合わせない。このジャンルに生息する書き手の大半が、ジャーナル志向ではなく、文字通りの“スポーツ専業”記者だからだ。
タブー自体を売り物にした際もの専門のムック本なども出回っては居るようだが、大抵のライターは匿名に身を隠して、周辺事情をぼかした記事でお茶を濁しているばかりで、きちんと悪弊を排除しようとする具体的な提言も無い。格闘技をクリーンなスポーツとして成長させるための「膿み出し」なのではなく、むしろスキャンダルすらも、リング上のキャラクタービジネスの「味付け」と考えている、記者自身の問題意識の低さが記事に現れてしまっているのである。
また、もっと悪い場合には、取材対象=商品である選手や団体の“表の顔”が潰れてしまうことを恐れて、あえて事件を隠蔽しようとする “共犯者”的身の振り方を選ぶケースもある。それはジャンルの行く末を見守り、危機の時には木鐸として警鐘を促すべき「監視者=マスコミ」の機能放棄に他ならない。
今回の『格闘技通信』のスルー状況が、そのどれにあたるのかは判らない。ただ、積極的にこの問題と向かい合おうと言う意志はどこにも感じられない。それだけは確かだ。