正式競技化の前に立ち塞がる高い壁
たとえば、立ち技系格闘技として前回シドニーで正式競技化を果たした「テコンドー」(WTF)の場合、1988年のソウルオリンピックで公開競技となり、正式採用にリーチを掛けた。一方、同じ立ち技打撃系格闘技の「空手」(ノンコンタクト/伝統派)の「世界空手道連合」(WUKO)も1985年にIOC加盟を果たしていたが、国際伝統空手連盟(ITKF)が「WUKOのみが空手界を統括する団体ではない」と意義申し立てたために、承認取り消し扱いとなった。
空手とテコンドーは、競技的にも非常に性格が似通っているため、どちらかが正式競技となれば、もう一方の採用は絶望的になる。WUKOの承認取り消しで、一気にテコンドー(WTF)が有利になったに見えたが、IOCは91年に「WUKOとITKFを合併、新団体として申請するなら仮承認を与える」というアクロバット的解決策を提示。結局、ITKFはこの合流案を拒否したが、WUKOが1992年「世界空手連盟」(WKF)に改称し再承認を勝ちとる。
かくてWKFとITFの熾烈な正式種目争いが再開されることになった。国内外の関連団体も、その動向に一喜一憂することになる。
極真を頂点とするフルコンタクト系団体の選手たちも、この時期、空手のオリンピック採用の流れに関心を寄せる発言をしていた記憶がある。実際、1994年のK-1の旗揚げにしても時期的には微妙で、もしWKFの正式競技化の試みが成功していたら、アンディ・フグや佐竹雅昭ら初期K-1のスター選手たちや、フランシスコ・フィリォ、八巻健児ら極真勢などが、今回アテネで話題になった全日本野球代表の長島ジャパンのように、オリンピックでメダルを目指すといった光景が見られたかもしれない。
結局、テコンドーが前回2000年のシドニー大会で正式採用となり、この争いには一応の終止符が打たれる形になったが、もしテコンドーが敗れていた場合、シドニーでの岡本依子の銅メダルも無かったことになる。格闘技の歴史においては、一つの隠された転換点であったと言ってもいいだろう。
また、IOCの承認を受けたからといって、即正式競技への道が開けたと考えるわけにはいかない。現在、承認IFとして登録されている競技は30を数える。中にはチェスやブリッジといったスポーツとは認定しがたい異色の競技すら含まれているのだ。かつて古代オリンピックにも声がどこまで届くかを争う大声コンテストのようなものや、弁論大会までが含まれていたというから、そうした“頭の体操”が競技に含まれるとしても不思議はないのかもしれないが、果たして“スポーツ”の範疇として広範な支持を受けられるかどうかは疑問だ。
現在IOC“承認”IFとなっているもののなかには、空手の他にも、相撲や武術(Wushu:太極拳)などの格闘技系競技があり、それぞれに熱心なアピール活動を続けている。中でも次回2008年の開催地が中国の北京であることから、武術が公開競技となる可能性が高いといわれている。ただ、正式競技になることなくオリンピック化を断念したサンボやヨーロピアン柔術といった例もあり、その先に待ち受ける“正式競技化”を果たすためには、高い一般の認知や、政治力、資金力といったいくつもの高いハードルを飛び越さねばならないようである。
【第二回】オリンピックを目指す世界の新格闘団体たち・オリンピックの最中、アテネの町に出現したパンクラチオンの末裔たち
・グレイシーもオリンピックを目指していた