 |
40周年記念特別愛蔵版-笑点大博覧DVD-BOXを見れば、笑点40年のすべてが分かります。
|
笑点の歴史を振り返るには歴代司会者の変遷を見るのが一番分かりやすいはずです。それでは歴代司会者と共に笑点の歴史を振り返ってみましょう。
初代・立川談志
(1966年5月15日~1969年11月2日)
当初は、演芸、談志とゲストの対談、そして大喜利の三部構成で時間帯も日曜日の16:30~17:10。
後に談志と大喜利メンバーが番組構成内容で対立し、大喜利メンバー全員が降板。しかたなくメンバー総入れ替えとなりますが、視聴率が低迷してしまい、談志も番組を降板します。
2代目・前田武彦
(1969年11月9日~1970年12月13日)
談志の後は前田武彦が引き継ぎます。しかし、当時の前田は数多くのレギュラー番組を抱えていたので短期間(約1年間)での任期となります。
この期間中には現在も親しまれているオープニング曲である「笑点のテーマ」が作られます
ちなみに、笑点のテーマには前田武彦・作の詞があり、当初、オープニングはテーマ曲だけでなくテーマソングが流れていたようです3代目・三波伸介
(1970年12月20日~1982年12月26日)
当時の司会者であった前田武彦の代役で、「てんぷくトリオ」の三波伸介(当時、トリオを解散予定)を抜擢。その司会ぶりが好評だったようで、多忙を極めた前田の変わりに三波が3代目司会者を引き受けることになったようです。
前田武彦の代役で引き継いだ司会でありましたが結局、12年の長きにわたり司会を務め、笑点を国民的人気番組と押し上げます。
私の年代(30代)だと笑点の司会といえば円楽ではなく子供時代に親しんだこの三波伸介なんですよねぇ■「笑点」の黄金期・三波伸介時代
最高視聴率40.5%を記録。
三遊亭円楽の笑点降板を番組で大々的に卒業式として放送。
なんと! サンフランシスコやハワイでの海外公演。
ちびっこ大喜利の山田隆夫、新井康弘、江藤博利、今村良樹が「ずうとるび」としてアイドルデビュー。
番組からアイドルをデビューするというモーニング娘。システムはこの頃からあったんですねしかし、三波は笑点だけでなくテレビの人気者として、活躍していた矢先の1982年12月8日に急逝します。
三波の急逝を受け、翌年の1983年の正月番組だけは臨時司会者として愛川欽也が務める4代目・三遊亭円楽
 |
| 師匠の林家こん平の変わりに抜擢された林家たい平が絵日記風に自身の憧れの「笑点」の裏側をたっぷり紹介します。 |
(1983年1月9日~2006年5月14日)
臨時司会の愛川欽也は引き継ぐことなく、次の司会者として、三遊亭円楽に白羽の矢が立ちます。番組が40分から30分に短縮されることになります。
しかし、試行錯誤の末、現在のような普遍的な円楽スタイルを確立し、再び笑点を人気番組として復活させます。その後はみなさんもご存知のとおり、笑点はいち人気バラエティ番組としてだけでなく、国民的人気長寿番組としての地位を確立していきます。
そして、ご記憶にも新しいとことと思いますが、円楽は脳梗塞を発症して2005年10月23日から休養。一時、冒頭の案内役のみ復帰しますが、体調が戻らず、同年5月14日の番組放送40周年特番を機に20年以上に勤めた笑点の司会を勇退します。
5代目・桂歌丸
(2006年5月21日~現在)
三遊亭円楽が休養中は大喜利メンバーは交互に司会を担当していましたが、円楽が正式に番組を引退後は桂歌丸が5代目司会者として就任することになり現在に到っています。
まさか、歌丸の大喜利での持ちネタの一つであった「司会交代」が現実になろうとは歌丸本人も夢にも思ってみなかったことでしょう。
こうやって司会者の変遷を見ると笑点の歴史の長さと普遍性を痛感します。もし、「笑点」がこんなにも長く続いていなかったら、メディア中心の芸能社会では落語は一部ファンが楽しみ、歴史の長さを有難がるだけの伝統芸能になっていたかもしれません。
そう考えると、落語が大衆芸能として認知され続けてきた大きな要因の一つが、この「笑点」がテレビで継続的に放送され続けたことだといえるのではないでしょうか?
その点を踏まえても「笑点」とはまさに演芸番組を越えたテレビ番組界の金字塔であり、落語界にとっても宝であるといえるでしょう。
【関連リンク】
笑点Web