文章:田中 徹夫(All About「Soul・R&B・HIP-HOP」旧ガイド)
映画 『 バッドボーイズ2バッド 』 公開記念
“The Roots Of B ! ”[ J・ジェフ&F・プリンス ]編 再アップ。
<映画 『バッドボーイズ2バッド』 の紹介は[All About/映画サイト]ここをクリック
(22)[ DJ JAZZY JEFF & FRESH PRINCE ]
「ラップは政治的にもなれる。が、必ずしもそうである必要もない。」(DJジャジー・ジェフ)
「ラップはジャズにもなれる。クラシックにもなれる。政治的にも、コミカルにもなれるのさ。」(フレッシュ・プリンス)
~~~ 東海岸ではパブリック・エネミーが叫ぶアメリカ社会から弾圧され続けるアフロ・アメリカン達の歴史的苦悩を代弁したメッセージ・ラップが政治運動と結びつき社会現象となる程過熱し、西海岸ではN.W.A.が今尚変らず彼ら同朋がホワイト・アメリカンが牛耳る公的権力に抑圧されている状況に苦言を呈しアジテイトする時代。
そうした?現象?を受けていつしか「ラップとはポリティカルなるもの。ラップとは革命をおこすもの」といった文化的役割やステレオタイプが確立しつつある頃、そうではなく「ラップとはパーティー・ミュージックなり」としたラップ誕生時のポリシーを一過して貫き、ひたすらファンを楽しませるラップに徹した男達、それがDJ→ジャジー・ジェフとMC→フレッシュ・プリンスが手を組んだユニットである。
1965年1月生まれのジャジー・ジェフと1968年9月生まれのフレッシュ・プリンス、共にフィラディルフィア出身の二人が出会ったのは86年、近所のパーティーにて。
意気投合した二人はすぐさま音楽活動を開始。
プリンスが高校を卒業する3ヶ月前に完成した“Girls Ain't Nothing But Trouble”を地元のインディーレーベル〔ワード・アップ〕からリリース。その曲のヒットは大手レーベル〔JIVE〕との契約に辿り着かせた。
このメジャー契約を機にプリンスは進学が決まっていたマサチューセッツ工科大学への入学を断念し、87年、ファースト・アルバム『ROCK THE HOUSE』を完成させる。
同時にエリックB&ラキム、パブリック・エネミー、フーディーニらとLLクールJの≪デフ・ジャム・ツアー≫に参加し、早くもスターの仲間入り。
勢いに乗った彼らは88年『HE'S THE DJ,I'M THE RAPPER』を録音。
シングル・ヒットを立て続けに生み出し、ファンが直接彼らのメッセージを聞ける電話サービスには100万通を超えるアクセスが殺到するという伝説を生む程その人気はウナギ上り、遂にはグラミー賞に設立されたラップ部門の初受賞、MTVアワードやソウル・トレイン・アワード、アメリカン・ミュージック・アワードを軒並み受賞し押しも押されぬトップ・アーティストの座を獲得することに。
90年には3rd『AND IN THIS CORNER』、91年『HOME BASE』(二度目のグラミー賞獲得)、93年『CODE RED』をコンスタントにリリース、順風満帆な活動を続けていたが、92年頃から相棒フレッシュ・プリンスが役者としての才能を開花させたことから事実上活動停止状態となった。
(次ページに続く)