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沈黙の聴衆 ライブ鑑賞の「マナー」再考(2ページ目)

「Keith Jarrett Solo 2005」会場に、聴衆の鑑賞態度に注文をつける異例の「張り紙」が掲示された。ミュージシャンへの配慮に「行き過ぎ」はなかったか? ガイドが考察する。

執筆者:鳥居 直介

強要された静寂

キース自身がことあるごとに語っているように、彼の演奏には尋常ならざる集中力が求められます。だから、お客さんを含めた周囲の環境はなるべく静寂であることが望ましいわけです。

私はこの点にはまったく異論はありません。そうした静寂を壊すお客さんがいることは、キースの演奏の質を下げることになるだろうし、せっかくのコンサートを台無しにしてしまう可能性すらあるだろうと思います。

しかしながら、そうした「静寂」を張り紙によって主催者が強要するのはいかがなものか。聴衆の静寂は、あくまでも自主的なものでなければ意味がないと私は思います。

「今回の日本公演でもそのように余韻を楽しんでくれることをキースは望んでいます」という一文はいわば、「楽しみ方」を聴衆に指示・強制していることにはならいか。主催者が録音している、なんていうことは、よく考えてみるとコンサートを聴きに来た聴衆にとっては何の関係もないことです。ましてや、録音や撮影があった場合公演をとりやめるぞ、というのは、もはや脅しではないでしょうか?(聴衆の騒がしさによってキースが演奏を中断した今回の一件と、聴衆による録音・撮影は何の関係もありません)。

私は、「すばらしい演奏を心から楽しみたい」という聴衆の思いが募った結果、自然に作り出される静寂こそが、キースが日本の聴衆に期待しているものではないか、と思います。強制され、抑圧的に作り出される静寂は、聴衆にとっても演奏者にとっても望ましいものではないからです。

結果としての静寂

こうした私の意見に対して、「何はともあれ、静かな環境で音楽を聴ければそれでいいじゃないか」という向きもあろうかと思います。実際、私が行った22日のコンサートは、水を打ったような静けさの中で行われていました。最後の一音のサスペンドが消えると同時にさざなみのような拍手が巻き起こるという、まさに理想的な演奏環境だったといっていいでしょう。

しかし、その一方で私は「この静寂が、張り紙なしでもたらされたものだったらなあ」という思いを禁じえませんでした。

ジョアン・ジルベルト・イン・トーキョー [Live]
ジョアン・ジルベルト『ジョアン・ジルベルト・イン・トーキョー [Live]』
ボサノヴァの帝王、ジョアン・ジルベルトの2003年奇跡の来日時のライブ盤。「静寂の感動」を体感できる一枚。ちなみに、ジャケット写真は真っ白のデザインなので、画像だとこんな感じです。
一昨年末と昨年末に来日を果たしたボサノヴァの帝王、ジョアン・ジルベルト。彼のコンサートでもっとも感動したことの1つは、彼の演奏が聴衆の静寂を引き出す、ということでした(奇しくも、会場は同じ東京芸術劇場でした→ガイドの誤りでした。ジョアンの来日コンサートは東京国際フォーラムでした。読者からの指摘により2007年2月訂正)。ざわついたり、雑談をしたり、調子っぱずれな手拍子を叩いていた聴衆が、ジョアンのギターと歌のサウンドの力によって静まり返っていく情景は、今思い起こしても寒気が出ます。

聴衆の沈黙は、よい演奏の条件でもありますが、同時にすばらしい演奏の結果でもあります。もちろん、どうにもならないお客さんというのもいるでしょうし、音楽の性質や相性もあるでしょう。聴衆を静まりかえらせたジョアンが偉いとか、キースもそうするべきだった、といったことが言いたいわけではありません。私が強調したいのは、聴衆の静寂も含めて、そのコンサートの「結果」じゃないか、ということです。

ザ・ケルン・コンサート
キース・ジャレット『ザ・ケルン・コンサート』
1975年、ケルンで行われた完全即興演奏のライブ録音。完全即興にしてジャズレコードでは例外的な売り上げも記録。冒頭の旋律は日本ではテレビCMでも取り上げられた。
キースの代表作である『ケルンコンサート』のすばらしさは、キースの演奏そのものであると同時に、キースのすばらしい演奏によってもたらされた静寂によるものだと私は考えています。主催者は今回のコンサートを録音していたようですが、「張り紙」によって、自らその録音の質を低下させてしまったということはないでしょうか。

少なくとも私にとって、「張り紙」は今回のコンサートの「雑音」でした。張り紙が聴衆の出す雑音を抑止したとすれば、それはいわば「芳香剤」によって悪臭をごまかしたようなものだといえます。聴衆の雑音が消えた代わりに、通奏低音のように「張り紙」という雑音(それはかなり質の悪い音だと思うのです)が鳴り続けていた。そのように私は感じました。

もちろん、こういった感じ方は人それぞれです。そんなふうに考えるのはうがちすぎだ、神経質に過ぎる、鳥居はもう少しおおらかに音楽を楽しめばどうか、という方もおられるかもしれません。

たしかに、こんなふうに考えるのは神経質かもしれません。実際、こんなふうに書きながらも、私自身は今回のコンサートを十分に楽しむことができました。そういう意味では、張り紙は正解だったのかもしれません。

ただ、私が気にかかるのは、あの会場にいる人間の中でもっとも繊細な神経の持ち主であろう、当のキース・ジャレット本人が、張り紙と、それによってもたらされた空気感をどのように感じていたのか、ということなのです。誰かに強制された「沈黙」と、心からの「静寂」は似て非なるものです。誰よりもキース本人が、両者の差異を敏感に感じていたのではないかと思われてなりません。



★2005年10月27日追加
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