掲載日: 2003年 05月 25日
Jazz Giants Vol.5 アート・ブレイキー
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アート・ブレイキー(ドラム 1919-1990) 50年代から1990年に没するまでの間、『ジャズ・メッセンジャーズ』というバンドを介して、文字通りジャズの素晴らしさを世界中にアピールしたアート・ブレイキー。バンドは、常にその時代の旗手を育て上げ、その遍歴はジャズそのものの歴史を物語る。
ブレイキーの真の魅力は、バンドリーダーとしての姿である。マイルス・デイビスのバンドが「マイルス・スクール」と呼ばれたのと同様、ジャズ・メッセンジャーズも多くの若手ミュージシャンを育てあげた。その遍歴を簡単に紹介したい。 ジャズメッセンジャーズ結成時にブレイキーと共にバンドを引っぱったのがピアノのホレス・シルバー。ファンキーなブレイキーのリズムと、シルバーの低音部の強烈で執拗なアクセントは当時のメッセンジャーズを象徴するサウンドであったが、1バンド2リーダーというスタイルは長続きしなかった。しかしジャズメッセンジャーズがジャズメッセンジャーズらしいサウンドを造り始めたのは、その後のこと。ピアニストで作曲家のボビー・ティモンズやサックス奏者でアレンジャーのベニー・ゴルソンらの参加により、『モーニン』『ブルース・マーチ』などの大ヒット曲が生まれたのである。 メッセンジャーズに在籍したスター選手達を紹介していきたい。 様々な遍歴をもつメッセンジャーズの歴史のなかで、「再びスターミュージシャンを迎えた」とブレイキーに語らせたのがトランペットのウィントン・マルサリス。80年代のメッセンジャーズを支えたマルサリスの技巧的なプレイやアレンジは賛否両論であったが、メッセンジャーズが再び時代をリードしていくことになる。 ブレイキーの目は忘れられない。やはりジャズ界をリードし続けたマイルス・デイビスと同じ輝きを持つ。バンドを厳しく見据えたかと思えば、ウルウルした目で遠くを見つめる。ふたりの大きな目からは同じオーラがでているようだ。 関連リンク:海外のドラム・パーカッション奏者
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