掲載日: 2006年 04月 22日

インタビュー編:田口真行さんの独立体験!

文章:塚田 祐子(All About「フリーランス」旧ガイド)
▼受講レポート編と合わせてお読みください!
連載【1】:田口真行さんのワークショップ
Webクリエイターの仕事の請け方・増やし方

連載【2】:インタビュー編:田口真行さんの独立体験!

前号の記事コラムで、Webプロデューサーとして活躍する一方で、クリエイターの育成にも力を注ぐ田口真行さんのワークショップを受講レポートしました。

インタビュー編では、田口さんが、フリーのWebプロデューサー・ディレクターとして独立してから、どのように現在の「仕事スタイル」を築いてこられたのか、そこをお伺いしました。

<INDEX>
技術者が制作現場を仕切っていた
やり方次第では、ネットで商品が売れる!
「費用対効果」は、作業量を減らす工夫から
提案型の仕事スタイルに切り換えたのは、入院が切っ掛け!?
受けた仕事は断りたくない、そこから人と連携へ
日々、チャレンジ!
プロの自覚と自信を持った瞬間に、ググッと変わる

プロフィール

Webプロデューサー田口真行さん
田口真行(たぐちまさゆき)
Webプロデューサー・ディレクター。
1999年、フリーのWebクリエイターとして独立後、様々なジャンルの企業のWebサイトを手がける。大規模な企業のWebサイト構築も、全国のデザイナーやプログラマと連携をはかって行う。そのプロデュース・ディレクションが話題となり、経済産業省主催の「Webプロデューサー育成講座」他、セミナーや講演は多数。現在は、同社の制作の総責任者として、Web業界で意欲的な活動を行っている。
⇒もっと詳しいプロフィールは、田口真行オフィシャルサイト


フリーとして独立するまで

・高校1年の時、コツコツ貯めたお金でシンセサイザーとカセットMTRを購入。自宅録音による音楽制作をヒッソリ開始する。
・音楽を仕事にしようと決意、音響専門学校へ進む。
・クラスメイトとマルチメディアをコンセプトにしたバンドを結成、音楽活動を開始
・1995年にコンピュータグラフィックスを導入、インターネットを拠点に音楽活動のPRを開始!
・1999年、制作会社のアルバイトを経て、Webクリエイターとして独立!

独立した頃は、技術者が制作現場を仕切っていた

ガイド:
田口さんが独立された頃というのは、Web業界はどのような状況でしたか?

田口:
Webプロデューサー田口真行さん
独立当初、Web制作の現場は、とにかく制約が多かった。
独立した1999年の末頃というのは、HTML的な技術部分でいうと、FLASHが出て1〜2年位で、やっとマクロメディアDreamweaverとか、そういったソフトで、統合してWeb制作が便利に出来るようになりそう、という時期でした。Web業界には、フリーランスでバリバリ仕事している人は少なかったですね。実際、私が今やっている、Webプロデュースとか、ディレクションといった、現場を仕切るというルールも殆ど無かったんじゃないかと思います。

印象に残っているのは、ブロードバンドとか、ナローバンドとか、回線の太さがなにかと話に出て、重たいものはダメ、軽ければ軽いほどいいと言われていました。演出とか見せ方にしても、色数を減らしたり、アニメの枚数を減らしたり、そういうテクニックがとにかく先行していました。そのため、技術者が、ほぼ演出部分の仕切りまでしていましたね。

私は、そういうしばりがものスゴク嫌いでした。例えば、色々なソフトを駆使して1日とか2日かけて、ひたすら色数を減らせば、確かに軽くなるかもしれない。でも、そこへ2日間かけるより、1、2時間で、ある程度のものを作って、瞬時に効果を優先する方が、クライアントは喜ぶんじゃないかと。これは今の提案のスタイルにつながってくるのですが、データを軽くすることにそこまで執着、固執してしまうのはどうなの、と思っていた頃です。

やり方次第では、ネットで商品が売れる
それは私にとって事件だった

ガイド:
独立後、最初の仕事はどのように受注されたのですか?

田口:
最初の仕事は、某大手企業プロバイダーさんのショッピングモールの立ち上げの制作でした。これは、関西で活躍されていた、知り合いのフリーランスの方からの紹介で生まれた仕事です。それと、自分で営業して取った仕事が、神奈川県のコンタクトレンズ屋さんのショップページ制作です。この仕事は、コンペで勝ち取った仕事なので、すごく記憶深いものです。

コンタクトレンズ屋に関しては、ホームページ制作を受注したものの、ネットで商品が売れるとは、(自分としては)全然思ってなかったのですが、翌年その企業が、爆発的な利益をあげて、びっくりしました。ホームページは、やり方次第で効果が上がるということを、最初に痛感した、私にとっての“事件”でした。実際、私がサイトのマーケティングまでをしたわけではなかったのですが、あの時に、制作者として売れるサイトに関われなかったら、今の提案のスタイルは、生まれていなかったかも知れません。

広告代理店通しの依頼型が、某大手企業プロバイダーのショッピングモール制作の仕事だとしたら、企業から直接依頼されたのが、そのコンタクトレンズ屋のショップページで、その2本が、独立後、最初の仕事でした。

「費用対効果」の発想は
制作時の作業量を減らす工夫から生まれた

ガイド:
大手企業のショッピングモールと、直請けでショップのECサイト制作が最初の仕事というのは、順調にスタートを切られたわけですね。ワークショップで田口さんが。“徹底してクライアントの目線に立って、「費用対効果」を考えよう!”と繰り返されて、「費用対効果」という言葉が頭に残ったのですが、そういったビジネスセンスというのは、独立後、仕事を通して身に付けられていったのですか? それとも、もともとそういう金銭感覚が備わっていたとか。

田口:
Webプロデューサー田口真行さん
依頼者と話し、サイトを作る目的を聞いた。

費用対効果を意識するようになったのは、これは、元々働いていたアルバイト先ですね。独立する前に1年間いたアルバイト先が、5万円とか10万円とかでWeb制作をやっていました。毎月10件とか20件こなすことになるわけです。すると、1案件を1日2日という短期間で仕上げなければならなくて、もう制作だけに時間をかけていられないわけです。

それで、依頼人に電話をしたりメールをしたりして、“どんな目的でこのホームページを作るんですか?”と聞いて、“それだったら、5ページもいらない、1ページでやっちゃいましょう。そっちの方が、お客さんから見てもわかりやすいし、効果が上がりやすいんじゃないですか?”というようなやり取りを、毎日のようにやっていました。これは、制作の手抜きじゃなくって、本当に必要なモノを最低限で作る提案でした。

そこから「費用対効果」という発想が出てきたと思います。制作部分にとにかく力を入れるというより、依頼人が望む効果を上げるために何をすればよいのか、それを先に考える。それが、結果的に、制作の作業量を押さえ、すると制作にかかる費用も下がる。依頼主にも喜んでもらえる、ということになりました。

田口さんが、提案型の仕事スタイルに切換えよう! と思った切っ掛けは?
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